かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

自立を促すのに節目を理由にしない

私が中学校に進学したときのことです。
親から「あんたも今日から中学生なんだから、これからは〇〇を自分一人でやりなさい。」具体的な内容は忘れましたが、いきなり申し渡されました。
新しい環境で新しい同級生、学校内のトイレの位置も、教室の移動も、教科ごとに先生が入れ替わることにも慣れていない緊張の毎日。自分でも小学生の自分から離れて、新しい自分でいくんだ、という気負いもあります。
その上、家でも新たな試練。うまくいくはずがありません。
慣れるまで、先生からも親からも怒られる毎日を過ごしました。
親としては、もう大きくなったんだから、小学生の時みたいに○○をやってやるのは、本人のためにもならないし、やらせよう」と表層意識では自立への一歩という意味付けをしていたんだと思うんです。
でもね、今思うと「もう〇〇に気を遣うのは疲れちゃったから、丁度いい。この子は中学生になったから、これを機に自分でやってもらおう」という自分が楽になる深層意識は絶対働いたと思います。
こういう突然大幅路線変更って、自分の環境変化で手いっぱいの時にまとめて押し寄せるとほんと、大変なんですよ。
それからうん十年経って、わたくしが、自分の子供に対して心掛けていることは「ギャップが一気に押し寄せてこないように、もっとずっと早くからすこしずつ一人でやらせる、判断させる」ことです。小さいときから様子を見ながら、自分の身の回りの始末で、これ出来そう、ということはやらせる。やらせて様子を見る。それを徐々に増やす。
子供としても家庭での役割分担が変わらなければ、外へ出た時の環境の急変があっても、家に帰るといつも通りの感覚でいられるから安心できるでしょう。本当は少しずつすることを親から増やされているのですけれどね。
まあ、やらせるの面倒、とか、説明が大変、自分でやった方がはやいわ、と思うことはついやっちゃうことはあります。
子供にやらせて、出来るようになってみると、親がラク。わたくしが「心掛けている」というのも、心配して気を使っているというより、いかにして早く自分がラクになるか、という意味です。
そうすると自然とドライブがかかる。
でも相変らず手順を仕込むのが面倒なことは黙ってやっちゃいますけど。
理想は、黙っていても時間が来ると、ご飯炊いておかず作って「ごはんできたよー」と呼んでくれることかな。いつかそうなったらいいな。