かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

三田誠広「天気の好い日は小説を書こう」朝日ソノラマ文庫ほか

ワセダ大学文芸科における「小説創作」講義をテープ起こししたとする三部作の一作目。
前半、近代小説の成り立ちから、文学のジャンル分けまでテンポよく紹介されている。現在そこにある小説の意味が、近代小説発祥の由来をたどってくれることで、頭がすっきりしました。
後半は小説作法の基礎。近代小説のキモはリアリティーにあり。視線をずらすな、主人公になりきってかけ、説明はするな、など具体例をあげながら面白く解説してくれます。
「孤独」「絶望」「愛」「希望」「感動」の五つは書いている人がバカに見えるから絶対使うなとのお達し。その言葉を使わずに「孤独」を表現するのが文学なのです。なるほど。

わたしはここで、アゴタ・クリストフ悪童日記」(ハヤカワepi文庫)を思い出しましたよ。クリストフさんは、徹底的に心理描写を排除していて、例え一人称でも「僕は〇〇と思った」ということをひとっことも書かない。それがまた目の前で繰り広げられているような実在感を醸し出しています。戦争中の、残酷な出来事を、残酷なままであるけれど陰惨でない爽快感、疾走感すら感じますから、たいしたものです。あ、すみません脱線しました。

最後に気に入った部分をちょっと抜き書きしておきます。
(ココから)
女の子が男の視点で書くと、少女漫画みたいな、きれいごとになってしまうんですね。うんこもしないし汗もかかない。存在感のない、ただのイラストになってしまう。女の子が男の子を主人公にして書きたがるのは、現実からの逃避じゃないかと思いますね。自分の日常生活が不快だから、そこから目をそらして、夢の世界に逃げ込む。それは現実から逃げるための「空想(ファンシー)」なんですね。他人の夢の話なんて、読者はうんざりしてしまいます。小説を書くのに必要なのは、読者をぐいぐいと作品の中のリアルな世界にひっぱり込むような「想像力(イマジネーション)」です。イマジネーションというのは、現実を見つめ、現実をこの身にひきうけ、その切実さを武器にして、読者をもまきこんでしまうパワーなんですね。
図式だけで「こいつは嫌なやつだ」というふうに切り捨ててしまうと、作品が浅くなる。登場人物すべてに「思いやり」をこめて、「誠実」に書く。これが文学の基本姿勢です。生きるということに「誠実」であると同時に、他人に対して「思いやり」をもつ。これは文学だけではなく、人生の基本ですね。
「文学」というのは特別なものではありません。生きるということの延長上に「文学」がある。「小説を書く」というのも、結局は「生きる」ということなんですね。