かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

原田真知子「「いろんな人がいる」が当たり前の教室に」高文研

誰もが同じクラスになりたくない男の子。特に正論を言う子、おとなしい子、容貌の気に入らない子に対して激しく執拗に攻撃する。給食、掃除当番、委員会などの仕事をまったくしない。お気に入りの子には極端に甘えて見せたりするかと思うと、あっという間に逆上して攻撃する。原田さんはそんな姿の後ろに彼の父親の姿を見る。
暴力、暴言、いじめの裏にある子供の訴えを聞くチャンネルを作るために、クラスの子にも「どうしてなんだろう」と巻き込むふりをして聞く。もしかしたら身近な子供たちはその真意をキャッチするチャンネルを持っているかもしれないから。
話を聞く体制ができたからといって、問題がすぐに解決するわけでないことも実践でわかっている。ベテランが答えを用意できるわけではない。両親の不仲、兄弟や親からの暴力、その子がおかれた環境を変えるまでの力はない。原田さんが出来るのは、一緒に言葉を探して、子供が自分で自分の状態を把握していくのを助ける。母親又は父親に共感しつつも、親自身の解放を信じて働きかけ続ける。それくらい。
子供たちは大人になって自分の判断と行動で環境を変えられるようになるまで、現実と折り合いをつけていく力をつけていくしかない、ということがわかっているからだ。
原田さんは教室で「わたしのせいじゃない-せきにんについて-」という絵本の読み聞かせをする。泣き続けている子を遠目に眺める15人の子供達が、直接間接にいじめに加担した理由を順番に語っていくというストーリー。
教室の空気が次第に張りつめてくる。昨年のクラスでいじめがあったのだ。いじめを傍観した子が涙ながらに立ち上がって謝罪する。いじめられた子が「ぼくは別にみんな悪いとは思ってない。だってみんなやんないと生き残れないからです。」という。原田さんはそこでいじめた子が言葉を発しようとしているのを見逃さない。言えなくて泣き崩れる子。「いじめちゃった?」うなずく子。「よくいえたね」頭をなでる原田さん。
そうは言っても、また頭にきて暴力をふるったり、物を壊したりする戻りもあるだろう。語り合える空間にみんなでたどり着き、自分の姿を認め、他の人の姿を認め、許し合う、そのらせんの中で次第に暴力から離れていく。謝罪で終わりではなく、どうしたら希望の未来へ向かっていけるか、原田さんは焦らない。

2020年中ごろから、私は、被害者又はその遺族の許しが、被害を受けた被害者自身の抱える苦しみからの解放の鍵であると信じるようになりました。それには加害者の協力が必要です。パレスチナ、池袋自動車暴走、みなそこに鍵があると思っています。そんな考えの私にこの本は、またひとつヒントを与えてくれました。