かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

南部さおり「親の手で病気にされるどもたち」学芸みらい社

怖い本でした。
ミュウヒハウゼン症候群をご存じでしょうか。自分は体の調子が悪いと言って医者にかかる。検査しても何も異常が出ない。本人はあれが痛い、気を失った、血痰が出た、気絶したと言い張る。また検査しても異常が出ない。これ以上やることはありません、あなたは健康ですと言われると憤然として去る。または本当に異常がないことがばれそうになると去る。そして別の病院にいく。これを繰り返す。
特徴的なのは、体にメスを入れるような検査、侵襲的といいますが、高度な侵襲的検査になればなるほど積極的になる、ということです。
医療機関に行けば、入院すれば、難病と闘うけなげな患者として大事に扱われる経験が忘れられなくなって依存するようになったのでは、と動機が説明されています。
私、この“症候群”という言葉ですが、“アスペルガー症候群”という名称を知っていますが、これは様々に表出される行動や身体症状をカテゴリーとしてまとめておくための名づけであって、病名ではない、まして広義の精神疾患ではないのですね。私は病名が付けられる前駆症状かと思っていて、その延長線上、極端に行きつくと病気と呼ばれるものかと思っていましたが、そうではないのですね。これがこの本では重要なテーマ、そしてなかなか理解が難しい副題となってまいります。
症候群は精神疾患名ではない、このことをまず念頭において、次に代理ミュンヒハウゼン症候群が紹介されます。ほとんど母親らしいのですが、自分の子供が重篤な病気にかかっていると主張し、病院にいきあらゆる検査をして病気を発見してもらうことを希望する。こんな病気かもしれない、あれかもといって家庭の医学を読みふける。あげく子供に「あんたは病気なんだから、こうしていなさい。お医者さんに聞かれたらママが答えるから、私をがっかりさせないでね」と子供に言い含める。つまり自分が精神的に一体化していると思い込んでいる子供を使って、代理で、子供を病気にしたてあげて病院と検査と入院をわたりあるくようになるのです。病気が見つからない、何の異常もない、健康です、と告げられると「病気を発見できないふがいない医者」と怒りをぶちまけて去る。そしてまた別の病院へ。
この“代理”ミュンヒハウゼン症候群の怖い所は、病気だといいはって、子供を検査漬け薬漬けにして侵襲的医療検査や薬の副作用で子供の体をぼろぼろにするのみならず、病気を作出するために、例えば点滴をしている子供の点滴液に、汚水を注入したり、大量の食塩を胃に注入したりすることですね。実際こうしたことで子供を死に追いやった事例がいくつもあります。病院ではかいがいしく子供の世話を焼き、理想の母親像を演じていて、それを周囲の人に褒められる、だからなかなか見破れない。
また検体に異物混入を行う手口も極めて巧妙。ほんの一瞬のスキをつく。だから集中治療室に入れられて、母親が近づけないと子供は健康になるという笑えない事態に。
筆者は、特に何も逆らえない乳児の立場から、この虐待行為に医療者が気づくために“代理ミュンヒハウゼン症候群”という概念が広まることを希望しているのであって、加害者である親、計画的に虐待している親を、精神疾患の領域に持って行って、裁判で心神耗弱のような罪の軽減に使われるべきではない、と繰り返し主張しています。実際、境界性パーソナリティ障害や演技性パーソナリティ、加害親自身の被虐待成育歴から、こうした行為を説明できる場合があるかもしれないけど、そう認められない程度の親もあるし、行為として非常に計画的であることから、身体虐待の突発的激情的発作より、よほど悪質だと考えられますね。
私見では、これはアルコール依存症やネット依存症と同じように感じられます。普段、何も注目されず社会の中で捨て置かれていたのに、難病児をけなげに看護する母親として医療者たちに称賛され、丁重に扱われる、それが病みつきになる。病院に入院するととても気を使ってもらって確かに居心地がいいです。でも大部分の人は、いくら居心地が良くても病気が治って出ていくことを希求する。ところがその状態を継続してほしいがために、ありとあらゆる手管を使うようになると。
ネットの書き込みで闘病する親子として評判になって、という例が出てきます。不幸話は人をひきつける。みんな同情して涙を流し、何か自分にできることはないかと提案し、寄付をする。ところが、実際には真っ赤な嘘だった。
ブログを書いてみる身からすると、盛った不幸話でアクセスを稼ぐ、それが気持ちいい、という話に繋がるわけですね。私もやらないように意識しようと思います。自戒を込めて。