毎日45分しか執筆しないのに年間10冊も本が出る。さぞかし速筆なのだろう、それで仕事術の本を書きませんか、という依頼がたくさん来るそうです。
その効率性で「整理術を」という依頼も来たと。しかし口絵の写真を見ると、めちゃくちゃ散らかっている。整理する時間があったら、研究や創作や工作を少しでも前進させたい。
私には整理術などないのが整理術である。とまえがきで結論が。
とかいいながら、本書の最後の方で、しょっちゅう探し物をしている話が出てきます。自分が原因だからいらいらするけど怒ってないとか書いてある。超自然的な移動をした物体は一つもない、無意識の物体異動(自分が)。面白い人ですね。
この本の面白さは、整理術にかこつけて語られる、極端なまでに潔いこの人の生き方です。実際ここまで極端な姿勢でいられるかというと大げさに感じる部分もありますが、他人とのかかわりで他人はコントロールできない、とか就職した学生たちからよく相談を受けて話を聞くとか出てきますから、孤高の人になりきってすましているわけでもないです。
途中の編集者とのやりとりの章も面白い。本の帯文で上司にダメだしばかりされるから上司に相談するのが苦手だ、という編集者に対して、それ上司に対する見栄が原因ですよね、と言ってしまう。
私は、この切れ味の良い森劇場を味わうために、この人の本を好んで読むのだと思います。
第三章では、知識はお金のようなもの、教養は資産のようなもの、と出てきます。資産はすぐに使えないけど、新たな発想や連想の飛躍につながってくる。そのためには知識を仕入れる不断の作業が必要ですと。また仕入れてばかりいると頭の中が肥満するから、理屈をこねる出力をしなさいと。仕入れたものは忘れて構わないので、論理を磨くと。これはなかなか今まで語られなかった視点ですね。
人間関係の最たるものが「世間体」という評価要素。自分の周囲の集団における自分の評価を、各自が自覚しているという意味。社会が近代化し(法整備など)、都市化したので、人間関係も整理整頓されてきた。
個人にまだ繋がっていたい、集団から離れた不安が燻っている、そこへネット社会の「村」に取り込まれている。
都市は集中し、密集することで高効率を得る。互いのアクセス経路が短いことが効率を高める。まるで集積回路のように。人々は都市に整理整頓されている。
思い描いたままのものが現実の形になることを頭脳は喜ぶ。思い通りになる、すなわち、自由である。
ある枠組みに属せば、他の枠組みには属せないという暗黙の了解があるのが集中系のシステムであったが、インターネットがそれを侵食し、より人間の脳に近い分散系になりつつある。個人が勝手につながり合うようになると、社会にあるあらゆる枠組みを破壊する可能性がある。
生き方も画一的にデザインされた社会から、多層化しつつある。混沌として中心のない、自然に近づいている。悩みとは個人の理想と周辺現実のギャップであるから、それを埋める努力をすべき。願うだけなら自由だろうと思うかもしれないが、願うものが基準となって現実をみてしまうから不満が生まれる。その被害を被るのは自分自身である。
ネットが他者からの承認、他者との比較のツールになっている。
信頼を得るとは、どんな場合にどんな行動をとるか、理屈から予測でき、周囲が安心して頼ることができる。感情的な人は予測ができないため、何をするかわからない人とされ、信頼されない。ホテルの部屋だってきちんと片付いているから、誰にでも使えるのだ。他者に使ってもらうためには、片づける必要がある。危険なもの触ってはいけないもの、何が飛び出すのかわからないのでは安心できない。
頭を使う、すなわち、判断するようになると、部屋の模様替えなどをしたくなる人が多いと紹介していますが、まさに断捨離はこれの逆回転で同じ効果を狙っているのですね。部屋を整理すると新しいことに挑戦したくなる、新しい人生を切り開きたくなる。
この本読んでよくわかりました。頭脳は楽をしたがっているから、経験値が増えてくると、なんでも自動化したがる。歩く、馴染みの店で買い物、頭の回転がほとんど必要ない。節約志向なんですね。
だから面倒だなあと思うような新規な雑事に面倒だなと思いつつ手を付ける。そしてアウトプットしながら考える。それを繰り返す。
森さんも好きな工作でも嫌いな作家業でも、どちらも億劫なときはしょっちゅうあるけど、その都度、しょうがないなと思いながら手を付けると書いていました。
それで時間が過ぎるのが充実した人生なのでしょう。私はこの本を生き方指南と受け取りました。何かを得たいと思って読む人にはヒントがいっぱい散りばめられていますよ。