かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

子供が一人でできることを少しずつ増やす トップセールスがよいマネージャーになるために

私が中学生になった時、親から「あなたはもう中学生になったんだから、今日から〇〇は自分でするのよ」と言われ、例えば朝起きたらふとんをたたむ、服は自分で着かえて洗濯かごに洗い物を入れる、など、今まで親にしてもらっていた事柄をいくつも自主的にやるようにと言い渡されました。
今の私からすると、これはすごくまずいやり方だと思います。
まず、学校が変わって、クラスの雰囲気も同級生の顔ぶれも授業の進み方も先生の教え方も校舎のトイレの位置も通学路も、何もかも変わってしまった。不慣れなうえにとても緊張する毎日です。それなのに、朝家を出る前、夕方家に帰って来てからも、新奇な慣れていない物事をこなさなければならない。やり忘れたり、親に思わず甘えたりすると叱られる。
何も外と内と、同時に切り替えるのが心機一転していい、というわけではないでしょう。人間そんなに簡単に切り替えて動けるわけがない。これでは気持ちの遊びが少しもないから、気を付ければできたはずのことも、同時に押し寄せてくればできなくなる。
そう思っていたので、むしろ区切りのないとき、例えば小学校5年生の間、小学校6年生の間、中学1年生の2学期から、など、なるべく区切りのない時期に、色々自分でやらせてみるように意識しました。
例えば、一人で買い物にいく、一人で電車に乗りsuicaの残高を見てchargeをさせるなどです。最初は横につきっきりで、全部説明しますが、機械の操作は子供自身にやらせます。2回目ももちろん横についていて、わからなくなれば「ここに入れて、このボタンを押すんだよ」という操作と意味を説明しながら、やらせます。急いでいると代わってやってしまいたくなりますが、そこは我慢。
もちろん、私も”不精”親ですので、なんでもかんでもこれで自立させられたわけではありません。イライラしてつい、手を出してやってしまったり。この場合の“不精”とは、「イライラするし遅いから、自分(親)がやってしまった方がまし」というその場限りの浅はかな考えですね。ついやっちゃいますね。
というわけで、実態はぜんぜん自立させられていないヘタレ親ではありますが、少しずつ自分でやらせるということをじりじり続けております。
例えば、子供たちは歯医者に定期的に通っておりますが、自分で保険証と医療証をもって予約時間に行き、帰りがけに次の予約をとってくる、ということはできるようになりました。カレンダーに書いてある予約日を忘れそうになりますが、ありがたいことに前々日、歯医者から「明後日歯医者さんですよー」と電話があるので、当日の朝、カレンダーを見返して子供に声掛けすれば保険として機能しています。

これね、トップセールスがなぜよいマネージャーになれないのか、という問題と根っこは一緒なんです。
例えば、通常の能力を1として、トップセールスは1.5の力を発揮しているとします。その人がマネージャーになって、1.2、1.0、0.3の能力を発揮している3人の部下を持つとしましょう。
マネージャーは、1.5の能力発揮を当然、または、努力すれば1.5になるのは当たり前と無意識のうちに思っています。まず1.2の人に対して叱咤激励します。「きみなら1.5が発揮できて当然だ」という態度で。叱咤激励されて自分で工夫するなり、マネージャーの行動のまねをできる、一人で技を盗める人ならいいのですが、そのようなアンテナがなくて自分の持ち味で1.2になってきた人だったら、「1.5当然」と思われて、その人へのオーダーメイドの助言や助けがなければ、次第につらくなってくる。そうすると1.2の能力発揮ですらあやしくなってきます。
次にマネージャーは、1.0の人を見て「努力して1.5になるべきなのに、なんでできないんだ」と思う。1.0の人はそれをすぐさま感じ取ります。ところが1.0の人は1.2の人以上に自分でどうにかする術を持たない。マネージャーは「まあ、部下としては1.0の人並みなんだから」と納得する態度を見せるつもりで、見捨てます。「そこらでやっててね」という感じですか。部下は上司が自分をどう思っているかについて、とても敏感なので「あー、私って期待されていないんだな」とすぐに思います。そうすると、まじめな人は1.0をキープ、それほどでもなければ「どうせ何をやっても期待していないんでしょ」と思えば、0.9、0.8とずるずる能力発揮が後退していきます。
次にマネージャーは。0.3の人を見て「こいつはどうしようもない。しょうがないからわたしがカバーするか」と思います。でも自分が部下の立場で1.5頑張れたのは、調整や目標管理、他部門やそのまた上司との調整をしてくれた上司がいたから。自分が部下を持つ身になると、管理業務をやりながら実務をやるので、実務1.5の能力発揮ができるわけがない。一方0.3の部下は「わたしってぜんぜん期待されていないのね」と直ちに感じますから、0.3キープか後退、やる気がなくなってきます。
そうすると、3人の部下1.2+1.0+0.3=2.5のまま、もしくはそれより後退して、その部署に期待されている最低限、3.0出力へ上がっていく道筋はぜんぜんつかないことになります。0.5の不足分をマネージャーの1.5が補えると思いきや、管理業務に1.3とられて0.2しか補えず、当初の目的1.5*3=4.5なんて夢の又夢、ということになりかねません。
ここで一番なにが必要か、というと0.3の人を0.4に引き上げることにまず注力です。山本五十六の格言ですが、
やってみせて、やらせてみせ、ほめてやらねば、ひとはうごかぬ。
ですね。自分が出来る人はつい「これくらい口で説明すればわかるだろ(=できるだろ)」と考えがちですがそれは大きな間違い。一緒についてやってみせて、やらせてみせて、どこを直せばよいのか、全体の流れのどこを理解していないのか確認して、その部分を助言して重点的にやらせて理解させ、できるようにさせる。いらいらして「なんでできないの!」と怒りたくなると思いますが、怒るということは「自分の教え方伝え方がまずくて、相手が理解していない」ということを肝に銘じて、忍耐強く行動すべきです。
もちろん、職業適性というものがあり、0.3の人が指導により自分でどんどん0.4、0.5、0.6と上がっていかないことだってありますが、0.3が0.4になって、上司から褒められるようになるだけでその人は自分の存在価値が認められて職場人生が過ごしやすくなるはず。
また、そうした忍耐強い指導を、他の二人の部下は絶対見ています。
1.2の部下は、ちょっとした助言や手助けで大きく伸びる可能性が高いから、ポイント指導とフォロー、ほめることで自分で伸びていってくれる可能性が高いです。こういう時こそ段階を踏んで、自分がトップセールスになったノウハウを惜しみなく提供しましょう。ノウハウは人に伝えてものにさせたことで初めて生きてくる。
自分一人で当たり前だと思っていたことが当たり前ではないことに気づくし、伝え方を工夫しなければ他の人に移植できないから、伝える試行錯誤をしていくうちに、むしろ自分自身のノウハウ自体が修正され、言語化能力もつくし、客観性も担保されて普遍性を獲得し、さらに磨かれていきます。
個別具体的、オーダーメイドの助言をすることで、すぐできそうなことから手をつける意欲を喚起することができます。それは1.0の部下も流れは一緒です。
そうしたら1.2+1.0+0.3=2.5が1.5+1.2+0.4=3.1になることだって見えてくるでしょう。
それが0.3の人を埋め合わせているだけだったら、単独で1.5だったとしてせいぜい0.4位しか埋められないし、その間1.2と1.0は放置されていて1.1と0.9に下がっていることだってありうるじゃないですか。

自分が出来ることはつい口ではしょって説明して「それでじゅうぶんでしょ」と思いたくなるものです。でも部下や子供が自分と同じような基礎を持っていると無意識のうちに前提とする考えが忍び寄るのを意識して排除していかないと、腹を立てて終わり、ということになりかねません。
ですから早いうちに、一つずつ、少しずつ、やってみせて、やらせてみせ、ほめてやる、気を長く持って接しないといけない。そのためには、自分が当たり前だと思っていたことが、いかに他の人に伝わらないか、そしてそれは自分が深くはわかっていなくて、言語化が不十分で、うわべの理解だったからである、それを謙虚に受け入れていくことと表裏一体だということを思い知るのが大事だと思います。人に教えるのは、自分の学びと並走していくことなのだ、と思えば、イライラも少しは収まると思いますが、いかがでしょうか。