かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

ジェシカ・ブルーダー著鈴木素子訳「ノマド漂流する高齢労働者たち」春秋社

「薬もやらない、アル中でもない、ギャンブル依存でもない、まじめに働いていたのに貧困に陥る。それって社会がおかしいのではないか」最近そんな書き込みを見たような気がします。
この本読んでいると悲しくなってきます。
生活を確保するために路上に出ざるを得なかった人々に焦点をあてているため、生存バイアスの逆みたいに、路上に悲惨があふれているように感じさせられてしまうからではあるけれども。
出てくる人は、人生の途中で何らかの躓きがもとで、高いとされる家賃が払えなくなり、中古の車を生活の場所とするようになった人々です。仕事があると聞けば、そこへ移動していって、オートキャンプ場などに駐車、そこから通勤します。
高齢者にはほとんどまともな給料がもらえるような就職先はありません。
アマゾンが大量に高齢者を雇用していますが、仕事は肉体的にきつく、労働災害も起きているが補償はありません。ギリギリの給料でギリギリの生活を維持していれば、アメリカ政府は公的補助を出さなくて済みます。アマゾンは低賃金で人を雇い、政府から補助金を貰う。その方が、政府もアマゾンも安上がりだから。
なんだか、もう日本にも輸入されてそうな感じ。
ドイツのビスマルクは、社会保険を19世紀末に早くも導入しましたが、それは社会主義が大嫌いだったから。マルクス主義者の挑発を安上がりに回避するためだった(同書)。70歳から給付を行うしくみですが、19世紀末だと70歳まで生きている人はほとんどいなかったからですって。
ヨーロッパ諸国はドイツに追随していきました。しかしアメリカは遅れて、大恐慌時代の後、やっと公的年金法が成立しましたが、それは労働者が掛け金を払ってその基金を元に支払うという非常に不完全かつ低額支給なものでした。
アメリカって、勝者総取り社会ですね。非常に激しい競争から素晴らしい商品やサービス、アイデアが生み出されてくる反面、セーフティネットが貧弱で、普通にまじめな人々はちょっとした躓きでたちまち崖から奈落の底へ突き落されてしまうのか。
もっとも、よく読んでみると、躓きの元は、離婚のために401kを解約して分与しなければならなかったとか、共同経営者が二重帳簿を作ってお金を持ち逃げしたとか、同情すべきものもありますが、借金で購入したゴルフ場横の高級住宅をリーマンショックで手放さざるをえなかった、株の損失41万ドルで自己破産した、とかちょっとそれはね、と思うものもあります。
最後の話題は長期の密着取材に付き合ってくれたリンダが、分割払いでアリゾナにアースメイド―温室、受水槽、畑、住居を備え自給自足する拠点―のための土地を買って、それを筆者が見に行くお話。あたりは人家の一軒もなく、未舗装の道、北西に涸沢の谷があって一度雨が降ると一面泥のぬかるみになる、時々メキシコから麻薬密売人が通りすぎ、太陽が顔を出すと暑くてやってられない土地。水道も電気もひくことはできない土地。
「ホームレスじゃない、ハウスレスなんだ」という言葉に、わたしは、現状を見つめるところから始めないとだめなんじゃないかと思いましたが、現状をわかっていないんじゃないんですね。わかっていてどうしようもない中、リンダのように必死に自分のこれからの夢をささえにして日々を生きているのです。日々の失敗や思い通りにいかない失意を笑いに変えて。そして必死で出口を探して時には諦めて。
でも不思議と読後感に悲壮な雰囲気は漂わないのです。それは筆者が密着して心からの友達になった車上生活をする人たちと、本を書く時の客観性を維持しようとするぎりぎりの営みの中で、冷静さと愛情がうまくバランスしているからに違いありません。
でもなあ、どう考えても、ガラガラヘビの出る荒野でうまくいくとは思えないんですけどね。読後感は筆者のしかけたマジックなのだと思います。
もう一つ、読んでいて私も気が付いて筆者も指摘していることですが、車上生活者はほぼ白人のみだということ。これはステルス・パーキングといって駐車禁止でない場所でも長時間駐車をしていれば警官の職務質問の対象になるから、これが黒人や有色人種だと、よくて警察署へ連れていかれるか、間違えたら撃ち殺される可能性もあるからでしょう。

“自主独立なんだ、誰の世話にもならねえ”“一発当てるアメリカンドリーム”という幻想を一般大衆にばらまいて、社会のしくみに立ち直る機会が組み込まれていない。ひどい目にあっている人々に、自己責任自助努力のDNAを植え付けて来たアメリカという国のひずみがここに端的に表れています。金持ちや運よく事業が当たった人たちは、社会のしくみを上手く利用して、あまつさえしくみ自体を自分たちの都合がよいように作り替えてきた、というのはどの民主主義国でもみられることです。「大きすぎてつぶせない」「影響が大きい」とかいって、バブルでさんざん甘い汁をすった連中の後始末を米国も日本も公費でまかないましたからね。
金持ちからのトリクルダウン*1がまったく期待できないことが世界的にはっきりしてしまった今、「成長から分配へ」と各国で言い出していますが、これがお題目の選挙対策で終わるのか、しっかりしくみとして組み入れられて人々が救われるのか。
政治的に発言力がまとまっている勢力は、自分たちに都合のいいルールを作って、自分たちの財政的地位を囲い込む。この動き自体は利己的な動機が自由にぶつかりあう民主主義の元では当然ありうることなので、それをどう修正するか。なぜ修正しなければならないかというと、敗者が気の毒だからではなく、誰でも敗者に陥る可能性があるところで安心して能力を発揮できる社会にしないと、活力が失われて、結局衰退するからなのですね。能力ある無産階級者がのし上がってこられない身分社会は活力を失って自壊する、これは歴史が証明しています。
私も民主制→独裁制→共和制と移り変わっていったローマ帝国の歴史をもう一度学び直そうかなと思うくらいです。
やっぱり、投票にいかないとダメですよ、ええ。

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*1:シャンペンクープを山型に積み上げたシャンペンタワーのてっぺんにシャンペンを注ぐと溢れた分が下層のグラスにこぼれてくることから、金持ちが潤うと貧乏人もそのおこぼれを頂戴できるという考え方