かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

私はこれで会社を辞めました

パオロ・マッツァリーノ「みんなの道徳解体新書」ちくまプリマ―新書という本を読んでハッとしたのですが、最近は昔よりもはるかに日本人って道徳的になっているのですね。昭和30年代なんか凶悪犯罪は多いし、道で肩が触れた程度で怒鳴り合い、戦前はもっと酷くて電車内に唾を吐くはゴミは捨てるは。

でもその代わりに、自分に対しても他人に対してもモラルを過剰に求めてしまい、ちょっとでも失言したり、売り言葉に買い言葉で暴言吐いたりすると徹底的にたたかれてしまう。
非常に窮屈で余裕のない世界になってきているという短所があります。

コンビニでむすっとしてお金を投げたり、黙ってレシートを渡すと怒鳴ったりというDQNな人たちが従業員の心を削っていますが、そして、私もその手の問題が主な原因となって会社を定年前にリタイアしたわけですが、それって昔はもっと多かったのかもしれませんね。
「みんなの道徳」の作者によれば、“昔の人は鈍感だったから“平気だった、と言っています。なにやら当たっているような気もしないでもない。私も多分若いころは鈍感だったのでしょう。

大衆自体がつまんないよ、お前らがつまんないよ!ほんとうにお前ら、寛容さがない。「いいよ、それぐらいのことは」くらいのこと言えよ、お前ら!(笑)な、馬鹿なんじゃないの!やっちゃいけないこと多すぎだよ。なんだ、その自己規制はよぉ。少々の失言なんて日常茶飯事でやってんだろ、どいつもこいつも揚げ足取りばっかりしがやって。やっぱり匿名性を選ぶようになっちゃってから、大衆自体が自分の首を絞めたところはあるよね。(P37泉谷しげるスペシャルインタビュー、70年代深夜放送伝説オールナイトニッポン編より扶桑社)

やっぱりねえ、生活に余裕がないとか将来に不安があるといか原因探しをしていますが、それって昔も結局一緒だったのじゃなかろうか。

昔の人はその日その日の心配をするのに手いっぱいで将来なんか考える余裕も暇もなかったのかもしれません。そういう意味では、現代人は常識と教養が高まってきていて将来を考えたりする力があるから余計不安になるのかもしれない。

でも悪い方向ではないと思う。時間の経過と共に人間が進歩するとは言い切れないにしろ、公衆道徳や自分を律しようという心は着実に前進しているように思いますので、あとは、それから出てくる不安やうつ病、孤独感、時たま心を削られるような言動を仕掛けてくる人が自分から規制してそうしなくなるようなしくみとか徐々にみんなで知恵を出し合っていけると、明日がよりよい社会になるという希望が持てる気がします。

変な例かもしれませんが、ドライブレコーダーが普及すると、当たり屋や交通事故加害者の特定がしやすくなって、過失や加害は報いを受けるんだ、という意識が高まって慎重な人が増えたり、正義が実現されやすくなったりするじゃないですか。該当の監視カメラだって、プライバシーの侵害だっていいますけど、公道にあるものだし、それで犯罪への抑止力になる、かどうかわかりませんが、少なくとも犯人が捕まる可能性が飛躍的にあがるのならば、是とすべきなのではないかなあ。それでまずいことがあれば、また改良すればいいのだし。

なんでもやってみるのが一番かと思います。