かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

人と同じにしなければ金はたまる

パノプティコンってご存じですか。ベンサムという哲学者が考えた刑務所。まず中央に高くそびえる監視塔がある。監視塔の中は暗くてそこに人がいるかどうかわからない。監視塔から放射状に監房の区画が地上に広がっている。各部屋は扇形の円周に近い所に末広がりの四角形でぐるりと並んでいる。部屋は監視塔から見ると死角がない。
さてこの状態で囚人は段々監視塔から常に見張られている気になる。監視塔には実際に人が立っているかもしれないし、立っていないかもしれない。監房からはわからない。
次第に監視塔の存在そのものが常に見張られている気になって囚人は脱獄を試みる気力がなくなる。
他人の意識の内面化、とか過剰な自主規制などと呼ばれているようです。
さて節約に勤しむ皆様、見栄を張る消費はすでに自主規制していると思います。例えば高級車を買ったり高級時計を買ったりする時に、「私ってこんな高級なものが似合う人なのよ」「私ってこんな素敵な物を持てるくらいすごいでしょう」という趣味とか好きではなく、自分が凄い人であるかという自信をつけるために高級品を買う心理ですね。
お金を貯めるぞ、倹約始めるぞ、というときに、言葉にしなくても他人に対して「どうだすごいでしょう」という姿勢を見せるための消費とはおさらばしやすいかと思います。
隣の芝生、デモンストレーション効果、というやつも現代では逃れやすいかな。
お隣が〇〇しているから、うちでも〇〇だ、という考え方。これは人それぞれが浸透してきているから、この呪縛も逃れやすくなったと思います。
後は、パノプティコン、他人の意識の内面化から逃れられるかです。
コロナ前の2018年11月初旬にリタイアして、朝から散歩やスーパーへ行くようになった当初は「大の大人がこんな時間からぶらぶらしていて変に思われないかな」なんてやっぱり思っていました。平気な振りはしてみたものの、周りに自分と同じような年代雰囲気の人がいないかなあと探したりして。
勤め人時代には、朝―昼―日が暮れるまでは、事務所か客先かはたまた移動中だから、平日の太陽が昇っている間にぶらぶらしているなんて落ち着かなかったです。たまに振替休日で平日休みだと妙な気分になっていました。昼間っからぶらぶらしている背徳感。その意識が残っていたのでしょう。
それがコロナ禍で一気に意識が変わったようにも思いました。在宅勤務の合間にスーパーで買い物をしている人、出勤時間をずらしたと思しき人、今までは年金世代と専業主婦ばかりだったのが随分バラエティに富むようになった。
しかしコロナの大波終息にしたがって、通勤電車は再び混むようになり、午前中のスーパーの様子も旧時代に戻ったかのように見えます。
でも人々の意識は確実に変わったと思いたいですね。
ところで今日スーパーで買い物をしましたが、全部大幅値引き品でした。いつもこうだとは限りません、在庫の回転が速くて値引きにならない鶏もも肉などを買う場合もありますから。でも値引き品が私の籠に占める割合は高い。
こんなとき、「あー値引き品しか買えないお金がない人なんだなーと思われているかも」「値引きん品ばっかり狙ってくるこの人、ケチなんだろうなあ」とか勝手に他人の意識を内面化するのはやめましょう。
子供にも言っているのですが「もしかしたら、あの子私の悪口言っているかも」と聞こえてもいないのに疑心餡着になるのはやめなよと。「はっきり見えない聞こえないものは、ないのと同じ」と言い続けています。これと同じです。
もしかしたら、スーパーの店員さん、「いつも見るこの人、値引き品しか買わないよねー」と思っているかもしれませんが、良いじゃありませんか。
廃棄ロスにならずにいつも商品を救ってくれるよいお客ですよ。
証拠もないのに、勝手に他人の心を想像してくらーい気持ちになるのは、まったくのムダ、というより毒。誰だって自分にしか関心がないのです。他人に関心を向けるのはほんの一時だけ。
その次に、他人と同じようにしなくても気にならない段階にいけると思います。
「××のときは、△△するものだよ」という考え方が自分で浮かんだり、人から言われたりしたとき、ちょっと待てよ、と立ち止まって優待離脱して、自分の頭の後方上に浮遊して俯瞰して考えてみる。
私が結婚したのは2004年ですが、この頃すでに仲人を立てる結婚式は減っていました。私は20代のころから、自分や結婚相手のことをよく知りもしない会社の偉い人なぞに仲人を立てて結婚式でピントの外れた又は無難すぎる挨拶をしているのを見て「バカバカしいから絶対やらない」と密かに決心していましたが、ぜんぜん結婚式をやる機会に恵まれないままン十年経ってしまっていました。そうしたら別に仲人を立てなくても式次第を工夫すればだれも気にしない時代になっていました。
きっと気にする時代に結婚式をあげることになっていたなら、会社の上司で少しでも自分のことを知っている人か、自分と結婚相手の両方を知っている人を立てたでしょう。勤め人だったからその程度は職場での自分への風当たりみたいなものを計算して妥協していたはずだと思います。
それで仲人いなくても半分くらい大丈夫な時代になって、結婚することになった時、どうしたとかいうと、結婚相手に「結婚式やりたくないけど、どう?」と持ち掛けたのでした。
それでいい、と言ってくれたので、更に図に乗って「婚約指輪とか石のついた指輪は普段からしてられないから買わないし、結婚指輪も金属を肌につける趣味はないので、自分の分は作らない。代わりにあなたが予算を倍額にして指輪を作っていいよ、どう」という提案をしました。これもokを貰いました。
ティファニーとか見てたから、ちょっとびびりましたが、最終的には4℃におさまって、ほっとしたことは否定できません。
昔から「お金を貯めるのには、義理欠く、恥欠く、人情欠くのサン欠く」と言われております。
恩知らずや恥知らずはまずいですが、単なる習慣でこれは誰のためにもなってないぞ、形式だぞ、と思ったことはこれからも切っていこうと思います。
人も自分も喜ぶようなお金の使い方が出来ればよいなあ、と思っております。