かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

先輩・上司として私はどうだったのか

前回記事で、困った上司について書いていて、もしかして自分も困った、或いは、嫌な先輩だったのかもしれないと思い当たりました。しかし目上の人に直接はっきり批判を言ってくる人は、よほど腹に据えかねたか、いつも気が強くてはっきりものをいうタイプの人でもない限りいません。自分が他人の目にどう映るかなんて知る機会はほぼないといっていいでしょう。

まだよくわからない先輩・上司であれば、気が強かろうが遠慮がちの人だろうが批判めいたことは用心して控えているし、では、気心が知れてきて「こんなこと言っても受け止めてくれる」位に信頼度が高くなったとしても、遠慮がちな人は「いや、やっぱり私の勘違いかもしれないし、それで怒り出されても」とプラス効果よりマイナス効果の方が大きいと思えば口をつぐみます。部下や後輩からの直接の評価は、ほぼ100%“お接待”発言です。

しかしながら、その極まれなる私の言動に対する意見を直接聞けたのが、都内城南方面支店に勤めていた時二つほどありましたので、記憶を手繰って書いてみようと思います。

その支店に赴任して間もない頃のこと。
飲み会にもいかないし、なんだか神経質そうに物をいうし、子供を保育園にお迎えにいくからと業務が終わるとさっと帰る。課長よりも年が上。部下の人事評価をする立場ではないから上司とは言えないが、主任ポストで人の作業配置なんぞを取り仕切っている。
会社が作った、見た目上司、実質ただの先輩というポストに私はいました。
なんだか遠巻きに「お手並み拝見」「どんな人なの」と見られていることは感じていました。
私と同時期に、営業から事務部門へ三年間の予定で移動してきたIさんがいました。
営業はとにかく攻め。数字を取ってさえくれば、計算の細かいミスは審査部門が直してくれる。正確性よりもまず数字を掴んでこなければだめだ、という風土。
事務部門は、正確に処理して当たり前。間違いがあれば怒られる。しかしながら多様で多量な処理すべき事柄毎月毎月生まれるわけで、時には課長や私が謝って回る必要がでてくる。場合によっては事務をストップして課全員でアフターフォローに走らなければならないときもある。全然風土が違う。
事務部門がいい加減長くなってきた私は、ともかく最初に手を付けること一つ一つを正確に積み上げようとする習性にすっかり染まっておりました。大量に処理するものがあるから、入口の処理をいい加減にすると、後で大事になった時に、原因を探すことにも時間がかかるからです。

そんな中、私とIさんが実地棚卸をすることになりました。
電算処理された帳簿棚卸のリストはコード順。実際のブツはそれとは全然違う分類で保管されている。したがって、現物をリストと照合してリストにチェックして消込を行わないといけません。さっそくIさんにやらせてみたところ、太い鉛筆でチェックしているのはよいけど、リストの行が細いのでチェックが複数行にまたがってついているように見える。
「あの、それだとどれチェックしているからわからないでしょう。きちっとどれをちぇっくしたかわかるようにやって。とりあえず、最初からやり直し。」
このようなやりとりを、Iさんの先輩のお姉さま方が見ていたらしい。私は愛想よくやさしく言ったつもりだったのですが。
夕方、私からすると後輩のお姉さま方に「ちょっと、ちょっと主任、こちらへきてください」といってすみっこへ連れていかれる。
「最近、Iさんへの言い方、きつくないですか?もうちょっと優しく言ってあげてください。」と言われました。
口調は優しかったと思いますが、内心、「なんでそんなやり方んすんの!チェックになってないだろ!」位は思っていたし、前々から事務のやり方が雑で「この調子だと少し後になって絶対お客様から苦情くるだろ」という危機感から、しょっちゅう注意していて、やったものを逐一持ってこさせて調べていたから、Iさんが委縮しているのを見てとったのでしょう。

また別の時、「何これ、誰これやったの」と声を出したことがあり、すかさず後輩のお姉さまの片割れ、割となんでもはっきり言うMさんから「あんたがそうやれっていたんでしょうが、何言ってんですか」と一喝されました。よく見たら、私がやったやつで途中から考えをかえて別のやり方にしたのですが、変える前のやつをそのままにしていたと気づいた。
すぐにMさんに「すみません、私でした。」と謝りました。
そうしたところ、翌日から、私に対する遠巻き度合いがなくなって、なんだかMさんも親しげににやにやしてるし、どうやら仲間だと思ってもらえたらしい。
そんなことがあって、私も支店の方々に徐々に溶け込むことができたのでした。

私としては、普通に優しく、間違いを指摘して、こういう風に直してほしいと言っているつもりなのに、怖がられるだけでなかなか考えを受け入れて貰うことができてないということが時々ありまして、その後都心の支店で課長をしていた時、決済文書を持ってきたので、その場でチェックしていたら、「ここ〇〇じゃない?△△って処理しているけど、それでいいの?ちょっともう一度調べて見てくれない?」とにこやかに言ったつもりが、やっぱり目が笑っていなかったのか、あれ、机の前に立って震えてるよ、と気が付いたことがありました。

自分では気が弱くて穏やかな性格だと思っていたのですが、周りから見るとそうでもない。チェックする側される側という役割分担からそう見えてしまう部分もあると思いますが、ことほど左様に自己評価というのは場面場面で違う自分が出るから、あてにならないものなのだなあと思い知りました。