かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

早坂信子「司書になった本の虫」郵研社

筆者は宮城県図書館司書として37年勤務した人。オープンリールからレコード、CD、レーザーディスク、ビデオ、DVDといったメディアの変遷、デジタル化の荒波を乗り越えて利用者と向き合ってきた方です。

江戸時代の図書館の話。当時書籍は極めて高価で、大商人や幕府お抱えの学者や旗本でもないと沢山の蔵書を手に入れることはできなかった。その中で、勘当された身から商売で身を立てた青柳文蔵は、本を読むことが好きで好きでたくさん書籍の蒐集を行ったが、晩年になると散逸を怖れて、水戸藩に蔵書と保管場所及び維持管理の資金提供を申し出るも「女衒の賤しい業を営みたる者の名前を冠した学校なぞ作ったら水戸の恥だ」ということで断られ、出身地の仙台藩へ話を持って行き、医学館の一隅に土蔵をたてることを認められた。
青柳の考え通り、誰にでも貸し出し可能、しかも、遠くから来る者のために一時逗留の部屋まで作ったという。この蔵書は、明治維新政府の接収や公売命令、第二次世界大戦の仙台大空襲といった試練を乗り越え、その数を減らしながらも現在まで引き継がれています。

只野真葛の「独考(ひとりかんがえ)」は書き上げてから出版されたのがなんと176年後。著者によれば、紫式部清少納言樋口一葉与謝野晶子らと肩を並べる、江戸時代の女流作家、否、女流思想家といえるとのこと。
この方は仙台藩医の父と弟を持つが、いずれも志半ばにして夭逝、儒教(当時は朱子学)に従って生きたのに家名は風前の灯となり、非常に憤りを覚えて自分の思うままのことをつづることを決意し、三巻を書き上げたのが1818年のこと。添削と出版の世話を当代随一の滝沢馬琴に相談したところ、作品に対しては好意的な評価を貰えたが出版に関しては言を左右してはっきりしない。馬琴は人に貸して写本を作らせばそれをまた見て写本ができ後世に残るよと説得するも、信念を曲げない真葛が督促の書状を送ると、馬琴は「独考論」を書いて完膚なきまでに否定した文章を書き綴ったという。
なぜそんなことをしたのかというと、真葛の文章は当時としては時代の先を行きすぎ、幕府にとってみれば危険思想にとられかねないものが多かったから。

・湯島の聖堂なぞにまつられるのは孔子様の本意ではない。識者が国益を考え論争し、門外に貴賤を問わず提言を入れる投書箱を作れば国益になることも多いはず
儒教はご公儀が政道に専用と定めているが人が作った一つの法にすぎず中国からの借りものである。表向きの飾り道具で小回りの利かない街道を引く車に似ている
・恋路の段にいたりては思うは負け、思わぬは勝ちなるべし
・男女の性差は肉体的な違いによるもので、才知の差によるものではない
・流行を学ばない若い女は、老人の気に入るだけで、若い男には好かれない。昔はこうではなかった、こうしないものだ、などと教えてはならない
・将軍も遠い祖先の軍功によってのみその地位を引き継いだのでしょう。いま何もしないで位だけ進ませるべきなのか。現実に激しい戦争がおきたらどうするのだろう
・統治する者は、物の値段を統制し、大天災があれば、物の値段をひときわ下げるべきである。
・今の世は金銀を争う心の乱世だ。自分だけ金持ちになろうという気風が流行である。どうにかしてこの心を改めて、人もよかれ、我もよかれと一同に思わせたい

真葛の文章は、日ごろ見聞きして知ったことを考え合わせて腑に落ちた所を俗文体を交えて率直に描く、そこに魅力がある。
病人は「肉のおちしこと、人なき床のごとく」、顔を真っ赤にして怒る様子は「面に焔けぶれるばかり腹立ちて」と表現する。率直で批評性に富むが、時代には先んじすぎた。

「糸のごと 氷の下をゆく水や ちかき隣の春雨のおと」

真葛の死後三か月余り後、滝沢馬琴は「真葛のおうな」という長文の伝記を書き、「独考」の名を世に知らしめた。

只野真葛の父工藤平助の再婚した継母と従姉妹にあたるのが桑原養純の長女ノブ。ノブは伊能忠敬の三番目の妻になった。養純の嫡男、如則が書いたのが「賤のをだまき」源氏物語全文の俗語訳である。
雅な言葉ではないから誤謬脱漏も多かろう。だからこれを読んで大意をしってのち、源氏物語の原文にあたれば、やっとその本意がわかりますよ、と序文に記している。

桑原如則訳
いつの頃の帝にや、桐つぼの帝と申奉り、御側づかいの女中数多き中に、きりつぼの更衣と申す、御家元もさまで申立る程の事にあらざれども、当時第一の御寵愛にて、此かたにのみ御心をよせられし程に、
御本妻の弘徽殿の女御をはじめ、前かたより御心をかけられてつとめいたる人々、何となく心おもしろからづ、わけて末々のわかき人たちは、殊にねたましく思ひ、朝夕何かにつけて、此きりつぼの更衣をにくしと思ふ心の絶えざるゆへにや、とかくわづらひがちにて病身なりし程に、帝はひとしほ御いとをいみ深く、人々のかれこれと申立るにもかまはづ、外の者にかはりてよほど目立程の御とりあつかひなれば、
奥向にみにかぎらず、御表向の御側勤の人々御小姓等に至るまで、此更衣を別段にとりあつかひ何となく更衣の勢い奥表に肩を並る人もなし、
かかるためしはもろこしの楊貴妃は、玄宗皇帝の寵愛深く、これがために世のみだれを引出し、終には其身をほろぼしたることを思ひめぐらせば、そらおそろしくは思へども、又君の御心よせのあつさのやるかたなさに、心ならずも日ををくりけり。

どうです、現在でもとても読みやすいですね。残念ながら出版はされていないそうです。薩摩で親しまれた「賤のおだまき」はまったく別物ですので念のため。

ほかにも、戦時中の古書の疎開の苦労、清朝康熙帝時代の皇輿全覧図の前身試し刷りが見つかった話、地震被害と復旧、県教育長が館長を兼務する東北歴史博物館への県図書館の古典籍移管を県議会への請願により取り戻した事件、利用者からの疑問や本探しに応えるために奮闘するレファレンス・コラムなど興味をひくお話は他にもありますが、上記三点のお話が一番感銘を受けたお話でした。

“賤のをだまき”出版してほしいなー。