かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

私有地なのか、公園なのか

ちょっと時間が経ってしまいましたが、11月21日に上の子の模擬試験で水道橋まで送ってきたついでに、ずーっと、ずーっと気になっていた所へ行ってきました。
水道橋駅の北側、中央線と並行して外堀通りがあります。通りを渡ると東京ドームホテル、その西側にJRAウインズ後楽園場外馬券売り場があるのですが、通りに沿ってさらに西にビル2つほど過ぎるとトヨタ自動車のビルがあります。そこの西側に公園らしきものの入口がある。
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ビルの敷地の一角のようでもあり、誰が入ってもよさそうでもあり、ずっと覗いてみるのをためらっていた場所です。思い切って入ってみました。
まっすぐ進むと左側に迷路のような低い塀で仕切られた通路があって、

ビルのドアに阻まれて終わりかと思っていましたが、行ってみたら90度曲がって一般道路の露地に出ることができます。
戻ってさらに北へ向かうと、

小石川後楽園の塀に行き当たりました。

塀に沿って左右どちらにもいけます。

右へお花を眺めながら歩いていくと、東京ドームに隣接した東門、左へ行くとすぐ涵徳亭のある西門へたどり着きます。
途中にあった看板によれば、一体を再開発するにあたって、供出された緑地らしいです。誰が利用してもよい。ただし小石川後楽園側の通路と共に夜8時には閉門されるそうです。
さて西門の前を通り過ぎ、北へ向かい

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部分図
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全体図

安藤坂を過ぎ、首都高5号池袋線の走る大通りと並行に片側一車線の道路を進みます。勝手知ったる自転車道。大通りがいやなのでいつもこちらを通ります。春日、上野方面の短縮路でもある。
実はこの道、元々は神田上水の通り道でした。神田上水は、江戸川橋公園の近くに取水堰があり、そこで下っていく神田川を離れ、小日向台地の山すそをぐねぐねと回り、ゆっくり高度を下げながら、小石川後楽園の北側から南に向かい、水道橋を通って神田・日本橋方面へ給水するため、神田川を懸樋で渡った。だから水道橋っていうんですね。

自転車ではさんざん通っていたのに、ちっとも知りませんでした。
文京区は、旧町名の由来をあちこちに掲げていて、これは途中の金富町のもの

永井荷風さんとか釈超空さんがいらしたんですね。

第六天町。徳川慶喜さんのお亡くなりになった場所だとか。てっきり静岡県の牧ノ原台地に行ってお亡くなりになったのかと思っていました。こっそり東京に戻っていたのですね。現在、佛教大学院大学の入口に石碑が立っています。

途中にある、趣のある民家

上流に向かって歩くと、江戸川橋に出ます。ここから目白坂の急坂を上ると関口台町。多分その山の下側にある江戸川公園のあたりに取水堰があったのでしょう。

関口台町の由来は諸説あるようですが、取水堰のある村の目白台地だから、奥州街道の関所があったから、など言われています。
この辺りは、昔から椿が多く、鎌倉合戦の頃も椿が多く、伏兵が潜んでいた、なんて言われると見まわしちゃったりしますね。で目白坂を上り切ったところにあるのが、関口台町小学校と椿山荘。椿山荘ちんざんそうの名前の由来はこれでしたか。

最後は戻って小石川後楽園の塀際に咲いていた山茶花

歩いて色々な案内板を見て、初めていろいろなことが解りました。満足です。