かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

年賀状を出す先は

年賀状を出した友人知人と初めて出会った場所について、集計してみました。

新年すぐに練習で会う所属合唱団の人たちや、定期的に会って飲み会をしている高校の時の部活の同期といった、いちばん親しい人たちとは、ほとんど年賀状のやり取りをしていないので、交友関係の比率判定というわけにはいきませんが、過去出会って挨拶状のやり取りが続く程度にお世話になった、気が合う関係を俯瞰することはできます。

高校の部活 6(顧問1含む)
高校同級生 2
合唱仲間 8(今は所属団が違う人たち)
教育実習同期 1
大学同級生 8
職場上司先輩 4
職場同期 5
職場後輩 5
職場出向同期 3
合計 42

高校の部活とは、いうまでもなく合唱団です。内訳は顧問1と同期5です。お世話になった先輩、お世話した、というか余計なお世話であったと思われている後輩たちも沢山いますが、年賀状のやり取りは絶えています。かつてはOB会を企画してくれる先輩や後輩がいて、盛大に集まったこともありましたが近年すっかり息をひそめています。同期は仲が良くて年1、2回定期的に食事会をやっていましたが、コロナで2年ほどストップ中です。
合唱仲間とは、かつて私が所属していて今はやめた合唱団の人や、私が所属している合唱団から止めていった人などで、年上も年下も区別なく会えば親しく飲み食いする友人達。合唱団の定期的な練習で会うことがないので、年1回の御挨拶になっています。
教育実習同期とは、大学の教職課程で教育実習に二週間ほど通った時にできた友人たちです。だったのですが、未だに年賀状のやりとりをしているのは1人だけ。互いに過酷なサラリーマン人生を潜り抜けて来た同志と思っています。
大学、職場については説明不要でしょう。
職場出向同期というのは、2年間霞が関の中央官庁に出向していた時の知り合いです。この時は、毎日よく飲み、よく運動し、よく付き合いました。毎日夕方から新橋方面の安い飲みやへ繰り出して戻ってくると、霞が関の合同庁舎の窓に煌々と灯がついているのにいつも悪態をついていましたっけ。飲みにいかない日は、数人で着かえて皇居の周りを走っていました。チームを組んでマラソン大会に出たこともありました。皇居周回から帰って来て地下にある風呂に入ったり。青春の香りがするなぁ。
今年はメールとはがきに区別せず、全部はがきで年賀状を出しました。枚数は少ないと思いますか、多いと思いますか。よく考えると、年一回の挨拶だけですます関係となっていて、何かきっかけがないかぎり会うことはなさそうです。宛名を書いている時だけ、会った時のことに思いを馳せる間柄です。