かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

生きたお金の使い方

昨日は下の子の小学校卒業式に行ってまいりました。
寒さに震えた上の子の卒業式の時とは異なり、一転暖かく。
校庭で造花のアーチを持ってくぐり、その後はビオトープ近くに集まって帽子投げをやっていました。色々考えるものですね。
その後、駅前商店街の総菜屋さんへ下の子と同級生がご挨拶。
この総菜屋さん、5年位前までは婦人服の販売店だったのですが、総菜屋さんに切り替えた。その代わり、店の表左側にある、急峻な階段を2階にあがったところでお裁縫教室を開いていた。
服飾関係はお店をやっている三姉妹の長女がやっていました。
この方90歳近くだったけど自転車で元気にお店に通っていていたのですが、ある日自宅近くの見通しの悪い交差点で車にはねられて無くなってしまったのです。それが昨年の事。コロナ禍真っ最中だったので葬式には参列せず、その後お店の二階に安置していた時に私も子供達や配偶者と一緒に伺ってお焼香しました。
当然お裁縫教室は自然消滅。今しかかっている作品だけ、千葉からお弟子さんが通って指導して作り上げて、出来上がったところで解散。
月謝と材料費を払っていたのですが、お惣菜の残りをタダでくれたり、通ってくる子供やご婦人たちを集めて会費制の忘年会をやってくれたり、下の子は随分楽しんだようです。
お裁縫教室が突然なくなってしまったにもかかわらず、子供たちのことを覚えてくれて、今年小学校を卒業する子たちにしゃれた花束をくださった。

同じ商店街にある花やさんで作ってもらったものだそうです。
やっぱり、商売をしている人たちって、生きたお金の使い方をよくしっていますよね。こうやって機会があれば、必ず近所のご商売と少額でも持ちつ持たれつの関係を絶やさない。
翻って私はといえば、喜んで余ったお惣菜を貰っているだけ。これじゃテイカー(貰ってばっかりの人、欧米では注意すべき人とされている)だよね。単なるケチケチの人だ。
長年サラリーマンをやっていた感覚が抜けない。収入一定、支出を絞ることばかりに頭を回していたから、「損して得取れ」という思考にいきつかない。良くないですね。
「小学校卒業したから」って今は縁の切れてしまったうちの子達にまで気を配ることを忘れないでいてくれている。
もちろん、ご商売だから支出の内容によっては経費に計上できるものもあるでしょうけど。むしろ、お金を貰ったら使って別の形で恩を返す、みたいな思考じゃなかろうかと思います。もちろん、商店街の店も賃貸じゃなく自前だし、何十年も無理せず形態を変えながらご商売を続けていられるだけの計算力や行動力もある。年齢も三姉妹の一番下の方も70歳越えという気持ちの余裕もあるのだとは思いますが。
素晴らしいお心遣いに触れた日でした。
やっぱり今度何か買いに行こう。

それから写真のお花を入れてあるガラス製のピッチャーですが、親の遺産です(笑。
母が生前、家族でアイスティーを飲むときに、氷をガラガラ入れて、熱い紅茶を一気に注いで作っていました。今となっては何も使い道がないので、”ご自由にお持ちください”に出そうかどうしようか迷っていたのですが、我が家に花瓶がない。ついでにいうと背の高い花を入れて倒れないような代わりの容れ物もなかった。あるのは牛乳パックのカラだけど、それじゃちょっとねー。ピッチャーで水切りはできないので、それは別のお鍋でやりました。
ということで、いきなり活躍の場が見つかりました。お花を貰うことなんてめったにないのですが、めったにないけど、たまにある。だったらこれはとっておこう。