かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

すき焼き鍋で作るとこんなに違う

はじめてすき焼きを作りました。
といっても、自分ですき焼きを作ったことが初めて、というわけではありません。
現在の家に引っ越す前は、ステンレス鍋で数回すき焼きらしきものを作った記憶があります。食卓にガス栓がないし、ホースでつなぐガスコンロを持っていませんが、今の時代誰もそんなものは使いませんね。卓上カセットコンロも錆びてきてカセットコンロの寿命も怖いからと捨ててしまっていたからです。
では何が初めてなのかというと、親の遺産である、すき焼き鍋を使って自分で作ったのが「初めて」という意味です。この鉄板厚手のすき焼き鍋は、親の残置物を整理している最中でも真っ先に「とっておこう」と思ったものです。

私が両親や姉と暮らしていたころ、このすき焼き鍋は大いに活躍していました。安い筋の多い牛肉ではありますが、決して豚肉ではない、すき焼きが時々夕食に登場していました。父が牛肉をことのほか好きであったためです。

その頃住んでいた木造の家は、居間の部屋の真ん中の床を四角く下げて、こたつ板を渡した、座る形は洋風椅子だが、実際座っている姿は和風、というある種合理的な作りになっていました。もちろん掘りごたつという名前で語ってもよいのですが、灰を入れることは想定せず、最初から椅子のように座る、胡坐をかかないから腰を傷めないという前提で新たに作られたものだったのです。それが証拠に座った背面の壁はムク板を縦張りにしたモダンなデザインでした。

そんな部屋の隅に床に四角い穴をあけてガス管の取付口が覗くようになっていて、そこからガスストーブをつないだり、ガス管をつないで食卓にガスコンロを置いて、湯豆腐やすき焼きなどを作っては食べていたのです。
当時は、すき焼き鍋に牛脂を溶かしてから、牛肉を入れ、長葱、春菊、焼き豆腐、しらたきといった定番品を一気にならべ、砂糖と醤油を上から振りかけて、材料と調味料から出る水分で煮込んでいたと思います。

今回は食卓におくガスコンロはありませんし、カセットコンロは相変わらずもっていませんので、台所のコンロで調理して、煮えた所で重いすき焼き鍋を食卓に運ぶことになります。その重いすき焼き鍋を運ぶためのひっかけハンドル、鋳物製のハンドルも一緒にとっておいたはずですが、探してもどこにもない。
そちらはあきらめて、似たような鍋ハンドルがあったので、ひっかけ部分が甘くてややグラグラして不安ではありますが、そちらと鍋敷きの二刀流で食卓へ運ぶことにしました。

最初に割り下を作ります。計量カップに、醤油50cc、酒50cc、みりん50ccを順に入れ、小鍋にあける。そこへ砂糖大匙2,水カップ1を加えて煮切っておく。
今回は牛脂がなかったので、サラダ油で、まず少量の牛肉を炒めた後、すぐに斜め切りした長葱を炒めます。長葱に火が通ったところで、長葱の上に牛肉を載せて片隅に寄せ、メインの牛肉、湯通ししたしらたき、春菊、薄切りにした木綿豆腐、白菜、薄切りエリンギを区分けして入れ、あらかじめ煮切っておいた割り下を回しかけて煮ました。

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グラグラしておっかなびっくり食卓へ

・長葱と春菊、白滝は鉄板。白滝は200gでは足りないので次回は2袋買おう。
・白菜も合うが、鍋がいっぱいになってしまう。
・豆腐は木綿豆腐の薄切りで十分。焼き豆腐でなくてもよい。
・メインの牛肉は、煮ながらほぐさないと、中に味が染みない。かといって煮え過ぎると硬くなるので、割り下の中でよくほぐして色が変わったら他の材料に上にのせてもよいかもしれない。
・えのきではなくエリンギとしたが、薄切りにして長さを3等分して煮ると味がよく染みる。

厚手のすき焼き鍋で作ると、薄手のステンレス片手鍋で作ったものとは全く違う出来になりました。
うれしいことに家族に好評で、鍋に入らなかった材料を途中つぎ足したものも、ほぼなくなりました。

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証拠写真

子供の頃なのに、作り方を憶えているのは母親が居間のテーブルで調理をしたから逐一その過程を見ていたおかげでしょう。
今回はネットのレシピを利用したので、記憶の作り方とは違いますが、子供の頃のすき焼きは肉に固い部分や脂身が多くて、味付けももっと甘かったように記憶しているものの、基本的には同じような味のすき焼きになったと思います。
もちろん、親の遺品であるタカラの本みりんや、沖縄黒糖が大活躍しました。
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