かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

田中辰雄「ネット分断への処方箋」勁草書房

東京地方、やっと暑さが一服しました。
7月30日と31日に合唱団の合宿へ秩父に出かけ、くったくたになって帰って来て、暑さと湿気でしおしおのパー。冷房かけておこもりして、最低限の家事以外頭も働かずぼーっとしていましたが、やっと少しだけ頭の活動再開って感じです。

表題の件ですが、本のご紹介。
この本で取り上げられている主題は三つ。

一つ目。ネットで言説が議論になると、なんで最後は罵詈雑言の応酬、揚げ足取り、炎上に終わってしまうのか。筆者はウエブアンケートで計量的な分析をしています。
これがなかなか注目で、
0.23%の人が60回以上書き込む。書き込み数の50%を占める。
何かが議論になり始めた場合、ただ見ているだけの人が95%以上だそうです。1回でもリアクションを書き込む人は5%未満にすぎない。更に60回以上も執拗に書き込む人は全体の人数のうちわずか0.23%。にもかかわらず、書き込み回数で数えるとなんと、0.23%の人が書き込み回数の50%を占めるということ。
木村花さんの痛ましい事件などありましたが、中庸の意見を言う人は途中でいやになって降りてしまう。またキツイことを言いたい人も1回言えば気が済んでそれ以上は書き込まない。でわずか、わずか0.23%の人が、執拗に、相手の過去の書き込みを部分的に切り取ったり、自宅を調べたり。
筆者は個人の情報発信力が極大まで大きくなっているのがまずいのだ、と分析しています。
わずか0.23%の人の執拗な、相手を打ち負かすための発言がダイレクトに届いてしまう。それが問題だと。受け取った側は、よもや0.23%の極少数意見なのにもかかわらず、周り中から言われているような気持ちになる。結果、ネットから退場したり、酷い場合には社会的に抹殺される状態にまで追い込まれる。

二つ目。ここでは言説の根底に流れている価値観として、保守とリベラルを取り上げ、定義していきます。
保守とは、歴史的に残ってきた慣習や規則、取り扱いを、時間の経過に洗われて残ってきたのだからいい物だ、とする価値観だと定義しています。
一方、リベラルとは、ありうべき社会、ありうべき姿はこうこうだから、それを実現していこう、理想に向けて邁進しよう、とする価値観だと。
確かに、保守、リベラルって政治についてよく言っているのを見かけるけど、自民党=保守、野党の半分くらい=リベラル=左派、という話じゃなかったんですね。考え方、価値観の在り方なんですね。
そして筆者は、どっちも持っていないとダメだ、とおっしゃいます。私も賛成。
保守だけだと、今あるものがいい物だ、で思考停止してしまい、改善のスピードが極めて遅い。またたまたま誰かの力で挿入された慣習が大した歴史もなく、周りの人間皆がなんとなく嫌だなと思いながらも残っていたり、風雪に耐えたものでも、もはや時代にまったく合わない不自由でぎこちない外套、重しになっていてもなかなか取り除けない。
またリベラル一辺倒で、頭で考えた理想をすぐに全体に適用しようとすると、ポルポトソ連共産主義文化大革命など、とんでもない事を大規模に引き起こした例は枚挙にいとまがありません。
だから両方がせめぎ合いながら、建設的な議論をして社会を変えていくのがよいのではないか、という筆者の考えに私も賛成です。
そういえば、自民党政権がなんでこんなに長期政権なのかって考えると、自民党の中の派閥が右寄りから左寄りまでいて、結果的に取り上げる政策に社会主義的、左派的な法案も結構あるから、野党は違いを出そうとして、より左寄り、極左的な発言になってなんでも反対する野党、みたいに言われて支持が広がらないのだ、なんて思っちゃいましたよ。
野党も、旧民主党の轍を踏まないように、中道なら中道、左ど真ん中なら左ど真ん中で、自民党の法案に賛成できるものは賛成し、修正してもらいたいものは修正と、本気で政権を取りに行く姿勢で臨んだらどうでしょうか。

で三つ目。ネット上の荒れる議論をどうしたら建設的な議論に仕組みとして変えられるのか、筆者はいくつか提言してきます。
一つはフォーラムをネット空間に作るという案。フォーラムとは分野別に分かれた議論の場で、パソコン通信初期に行われていたチャットのようなもの。誰でもフォーラムの書き込みを読むことはできるが、書き込みをできるのは登録した人だけ。フォーラムには主管理人と副管理人を置き、荒れそうな議論を遮断し書き手を追放できる権限を付与する。今ある広大な大衆空間であるネットに、それぞれ小さな言論空間を作っていくことで、建設的な意見が交わされ読み手が増え、野放図なSNSは次第に駆逐されていくだろう、というアイデアです。
また読んだら消えるSNSとか、部分切り取りが出来ないSNSなども面白い案です。読んだら消えるといっても、各読み手が読んだら、その読み手にとってのみ表示後40秒程度で消えてしまうみたいなものや、サーバーに内容が残らない工夫をするなどの案を提示しています。もちろんこれらは案なので実装方法については述べられていませんし、それは筆者もお断りしています。
そして筆者は荒れたネットの言論空間はいずれ何とかなる、楽観的だと言って、その根拠を歴史に求めています。
国民国家の台頭と軍事力の国家独占、産業革命の進展と国家及び企業による産業の独占、最初はとてつもなく酷いことが起きたが人類は様々な工夫や仕組みでその弊害を取り除いてきた。ネットの言論空間も始まって20年。軍事力や産業力の独占で酷い暴力が緩和されるのに100年はかかっている。だったらネットだって時間はかかるけどきっとそれほどひどい物じゃなくなるよきっと、というのが論拠です。
私もネットで書き込みしたかったら身分証明登録しないとダメとか、誹謗中傷があったらすぐ本人特定できるしくみにしないととか、じゃあ中国みたいに国家が統制に入るのは、いやそれは時の政権やエリートが頭で考えた価値観を押し付ける形だからうまくないよね、と思ったり、自由と統制のバランスのとり方のしくみについては、大したアイデアもありませんが、筆者のいう楽観主義、人類は自分たちが生み出したもので、最初は力をふるって弱者が酷い目にあうこともあるけど、やがて折り合いをつけて問題を抑え込むことができる、それは歴史が証明しているじゃないか、という考え方に共感いたします。
いきなり完璧に問題をなくすことは多分永遠にできないかもしれないけど、それはリベラルや独裁者を待望する気持ちとつながっているわけで、どうしたって沢山の考え方がある世の中、折り合いをつける道筋をきっと見つけるよ、という楽観主義は、非常に現実的で説得力があるな、と思いました。