かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

高校の文理選択

2022.11.5(土)上の子の高校の保護者会へ出かけました。歩いていくと30分弱で到着するので丁度いい運動になります。電車でも行けますが駅まで歩いて15分乗って2分乗り換えに3分再び乗って2分歩いて7分だから、わざわざお金を使って人ごみに自分を投入する必要性はないです。意外に日差しが暑くてつくころには若干汗ばんだくらい。
まず一年生全体での説明会が一時間あり、それから各クラスへ移動してクラスごとの説明会が一時間。全体会では大学受験へ向けて高大接続改革の話から二年生での文理選択の話へ。私の時は文理選択は三年生でだったなと思い出しつつ、そんな古い話は何の参考にもならない位今の大学受験の姿は変わっていました。学校からも「親御さんの自分の受験の時とはまるで違いますのでよく情報を集めてくださいね」と言われました。
そのこと自体は、上の子の高校受験にあたり中学一年生だった時の保護者会でも同じことを言われていたし、実際私が情報を集めて上の子の意思を確かめながら行動していくなかで実感できていたことなので驚きはありません。むしろ既視感を感じます。
高校、特に私立高校は大学進学率の質的内容が高校受験してくる生徒の質や数に直結してきますから、とにかくより上位とされる大学への合格率を上げよう、という運動になり、そのために早め早めに受験に特化したカリキュラムに近づけたい気持ちがどうしても出てきてしまいますね。文科省発の高大接続改革「予測のできない社会において、様々な課題に対し多様な人々と共同して解決していく事が必要な時代へ」対応するため、具体的方策として提示された学力の評価方法や大学入学共通テストの導入、総合的評価入試の拡大などへの対応を進めている現状の説明を受けました。
具体例として「総合探求の時間で自分で課題を見つけるだけでなく、チームで解決策を考え、みんなからの質問も受けていく訓練をしています」というややアリバイ臭さも感じますが、理念の実現へ向けて努力している説明もありました。
それでもあえて思うのは、ここのところずーっと考えていることでありますが「文理に分ける時代は終わったんじゃないの」という私の信念との折り合いですね。
アメリカみたいにリベラルアーツを選択出来て、4年制大学を出た後、メディカルスクール、ロースクールビジネススクールといった選択を出来るようにする。何なら一度働きに出た後でも。ただそれだと学費が二年間余計にかかる。学費の公費助成が少なければ相当な学費を用意しなくてはいけないといった、負の側面も指摘されているところです。
日本でも理系選択の学生の多くは大学院修士課程を修了してから就職していますし、上の子が最近貰って来た先輩たちの受験体験記を見ても“就職に有利だから理系を選んだ”という文言も散見されます。
うちの子は理系科目が好きだけど、現在一番進みたいと思っている美術系の学科のことを考えると、文系にして負担を減らしたらどうか、などと学校からの助言もあり本人も悩んでいたので、私も一緒に悩みました。二人で色々話しているうちに「やっぱり勉強したい科目のある道を選ぼう」という結論になり、進路のことはそれと折り合いをつける、自分の可能性にかける、最初から受験最適化を目指さない、と決心しました。
文理選択は二年生でクラス分けとなり、三年生で文理の乗り換えはできません、と説明を受けましたが、先の受験体験記でも文系クラスから理系学科への受験した人もいましたし、選択科目で置き換え可能と判断して、文系だと学びたい科目がはずされてしまうデメリットを重く見て結論に至ったわけです。
もちろん「文理両道」という私が子供たちに刷り込んだ価値観が反映されている点は否定しませんが、「自分が好きで学びたいこと」を消さないコースを選ぶことが最優先事項ではないかと思った次第です。