かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

年賀状じまいの難しさ

出すのは面倒だけど、貰うとうれしい。そんな年賀状。

ここのところずーっと年賀状じまいを意識して年賀状の発送を制御しています。
時々顔を合わせる人々には感謝の気持ちで年賀状を出すことに違和感はありませんが、何十年も昔に一緒に勉強したとか仕事をしたとか世話になったとかで、その後は年賀状以外まったく音信のない関係で、それがずっと続いてくると「もういいんじゃない」という気持ちになってきます。

義理難い気持ちで必ず出しているだろうと思われる一群の方々もいらっしゃる。
くれる限りはこちらも儀礼として返信する。すっぱり断つためにこちらから出さなければ翌年はこないだろう、と思ってもくれる人がいたりして。

数が多いと労力が大変であるから、個別にどうするか、よりも発送枚数を減らすことにまず取り組みました。
出した方々から、元旦でも三が日でもなく、それより後に年賀状を下さる方には翌年出さない。こちらから出しても相手は十二月中に用意していないということは、向こうも義理で返事を出してくれていただけなんだなーと想像すればよいですから。
またメアドの分かる方は、メール年賀状に移行してみた。これだと不達で跳ね返ってしまう場合や、返信がこなければハガキ以上にすっぱり止められました。

2022年は親族が亡くなったので12月下旬に、三が日より後に到着した人の分をはぶいて喪中はがきを投函しました。
そうしたら。
その人たちからバラバラ、全部ではないけど年賀状が来てしまいました。
慌ててその日のうちに寒中見舞いを出しましたけどね。
ここで返信しない、という選択肢もあります。でも出したのは、きっと私の心の中で、
“相手に礼儀知らずの冷たい奴だと思われたくない”
というつまんない見栄があるからでしょう。
礼儀だろ、という表層的な意見はありますが、そこを掘っていくと「見栄」「他人によく思われたいという欲」が出てきます。一応そこまで私はわかってるんだぞフンフン、という誰にも伝わらない偉そうな考え方もあるでしょう。そしてそれに気が付いている私ってすごいわという…マトリョーシカ状態になったのでそのへんで。

最終的には、昔ほんの一時お世話したりお世話になったりした“過去の関係”はすっぱり切ってしまいたいと思っているのですよ。
これは断捨離の考え方。過去を懐かしんでばかりいると、それが重しとなって現在をより良いものにする自由が手に入りにくくなる。たかが数十枚のはがきが重しとは、ですが。

もうちょっと言うと、過去の関係を懐かしんで「私にはこんなに友達がいるんだよ」と自分を慰めるばかりになる。すっぱり断ち切っていって、その言い訳が効かない位知り合いの数が少ないのだ、ということを年初から突き付けられることによって、初めて、次の人間関係を求めるようになる、つまり淋しさを実感して動けよ自分、という状態に追い込むべきであろうと思っているのです。

実際には、別に淋しくはない。なぜなら子供二人はまだ巣立っていないし、合唱や独唱関係の知り合いとは定期的に歌を歌ったりレッスンを受けたり聴いたりするという、淡い交際関係があるので、これがとても心地よい。

どんなに仲の良い関係であっても長時間一緒にいてしゃべっていると、最後は疲れて一人になりたくなる人間だからかもしれませんね。
一緒にいてもぽつぽつしゃべる程度で、後はそれぞれ勝手に別々のことをやっている状態が一番いい、と自分勝手に思っている人間でもあります。
来年の年賀状もまた、少しずつフェードアウトしていこうと思います。

出した 来た
2003年 70 67
2004年 72 58
2005年 72 59
2006年 66 52
2007年 68 54
2008年 66 44
2009年 62 49
2010年 70 56
2011年 59 54
2012年 63 53
2013年 63 50
2014年 55 49
2015年 66 44
2016年 58 45
2017年 58 44
2018年 40 36
2019年 35 34
2020年 39 4
2021年 66 5
2022年 50 40
2023年 38 13

そう思って過去のデータを取ってみた所、言っていることとやっていることが違っている箇所がありました。そう2021年です。「出した」は喪中はがきを出した場合も含まれていて、その年の「来た」は、喪中はがきを出していない先から年賀状が来た場合と、相手方が喪中はがきをくれた場合が含まれています。2021年は住所録をリニューアルしてハガキが宛所不明で返ってきたら削除しようと思って義理枠ぎりぎり増やして出したのでした。
またこの件数には、メール年賀状の「出した」「来た」も含まれています。

フェードアウト式年賀状じまい、減らすのは限界に近くなってきた感がありますが、これからも継続して、最終的には「今年限りとします」の文言で納める日がいずれ来ます。ただしそれは大分先のことでしょう。