ひろゆき氏がまた炎上しておりますが。記事をしっかり読み込まずに言葉尻を捉えて反論している人が多いですね。
https://president.jp/articles/-/65656
私も無償化には反対です。
ひろゆき氏によれば、大学学費に税金を投入してしまうと、レジャーランド大学も生き残ってしまう。大学は授業料収入が簡単に手に入るけど、大卒の肩書が欲しくて奨学金と言う名の教育ローンを背負って卒業した若者たちは借金返済のためにブラックな会社にも我慢して勤めたあげく心身を壊して自己破産などになってしまう。
だったら一定の学力のある学生だけ学費を国が負担するしくみにする方がよい。
ただし高校生個人のレベルでは、どんな大学でもいったほうがよい、とアドヴァイスする。大卒でないと就職の入口も狭いし、海外で労働ビザを取る時も大卒でないと事務職ビザがおりなかったりするから。
そして大学を出なくても社会的に成功するロールモデルをもっと作ること。
という趣旨のことをおっしゃっている。
大学は大学らしく、基礎学力のある学生だけ受け付けて大学教育の質を確保すべきと言う考えですね。
全面的に賛成です。
私最近、朝比奈なを「進路格差<つまずく生徒>の困難と支援に向き合う」朝日新書 を読みました。集団生活に器質的になじめず、空気を読まないことでいじめられるなどして、不登校になる人たちが、義務教育から押し出された時に向かうのが、偏差値序列の最下層、または偏差値測定なしとされる、底辺校=教育困難校や通信制高校。
かつてこういった高校は、いわゆる「ヤンキー」達の吹き溜まりだったのが、今やそちらは少数派。まじめに出席するが誰とも交流せず先生の問いかけにも答えず、じっと座っているのが大多数だそうです。
ところが義務教育の9年間を取り戻すのには三年間では足りない。算数の四則演算、国語なら主語と述語から熱心に寄り添って教える先生方と褒められると頑張ろうと思えるようになった生徒たちもすぐにお別れの時期が来てしまう。
生徒たちは非常に自己評価が低く、自分で計画立てて行動したり、自分の将来にむけて決断をするという経験がまったく不足している。ゆえに就職面接の当日になって「自分なんか」と思って黙って表れない。それがどんなに自分の評価を下げているのか思いもせずに。だから高卒時の就職の方がかえって難しい。そこで専修学校や大学へ“進学”する。
結局そこでよい先生や指導者に巡り合えばよいけれど、授業料払ってもらうこと目当てのお客さん扱いする学校で放置され、さて専門学校は出たものの就職はない、大卒の資格は得たものの就職戦線であっという間に傷ついて、へたすりゃ何百万もの教育ローンだけが残るという。
ここで筆者は、義務教育レベルの基礎勉強を定着させること、礼儀とか履歴書で自分の性格や長所をアピールできる、自分のことは自分で決断できる、計画立てて物事を理解し、質問力もつける、いわゆるソフトパワーの養成が大事だということを言っていて、私も全くその通りだと思いました。
現実にFラン大学と呼ばれているような、競争倍率1倍以下の大学では、高校以下の教程の学び直しをしているという。だったら高い学費を払って、特に教育ローンを組んでまで行くところかと思うのです。
確かに最低限大卒の資格を得ておかねば、応募もできない職業もあるかもしれない。でも基礎的な学力と社会訓練なしでは、例え就職できたとしてもそこから先うまくいかずに退職、バイトや派遣の繰り返しになっている例も多いといいます。
無償化すれば教育ローンはいらなくなるというけど、それは家庭から国家に負担が移っただけ。現状で4年間、時間をかけて出てくる費用対効果を考えると現状、ゾンビ大学やゾンビ専門学校の延命に無駄な金をかけるだけになると予想できます。大卒という資格を得ても、それに見合う待遇も得られなければ本人も可哀そうだし、4年間も無駄に過ごして、社会的損失ともいえると思う。
私の提案としては、センター試験でも高卒認定試験でもいいのですが、そちらでしかるべきスコアを得た者だけが、大学の学費を国から援助してもらえる形がよいと思う。
そうすれば、授業料稼ぎやアニメや音楽映像と言った人気職業を模した過程で設立され、在籍する意味の感じられない、卒業時に何の就職アピールも身につけられないような専門学校や大学は淘汰されるのではないでしょうか。
その上で、大学の学費補助を得ようとするために高校卒業程度の基礎学力をつけるための予備校みたいな存在が出てきて、少なくとも学力的にまっとうに人間を育ててくれるような機関が発達してくる。それは本人の幸福のためにも、社会全体としても望ましいことだと思えるのです。