かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

マーク・シノット「第三の極地」亜紀書房

原題のThe Third Pole=第三の極ですが、1番目と2番目は順番はともかくとして、北極と南極です。じゃあ3番目の極地とは何か。ヒマラヤ山脈です。
エヴェレストが世界一高い山であること、すなわち、陸地の中でもっとも高度が高い所である、と断言できるようになったのはいつごろでしょうか。
19世紀初頭、インド亜大陸を支配しつつあったイギリスは、大三角測量にゴーサインをだし、70年もかかって完了した結果、やがてロシアと衝突するであろう中央アジアとインドを分かつ東西2400キロメートル、世界一の高峰を擁するヒマラヤ山脈に目を向けました。
世界の4分の1を植民地、保護領自治領、属領併せて日の沈まぬ帝国と謳われた大英帝国。しかし北極点初到達はアメリカのピアリーに、南極点はスウェーデンアムンゼンに取られた。では第3の極点は。イギリスの威信がかかります。

1924年6月8日ノエル・オデールが見上げると、8600メートル付近を元気に登っていくジョージ・マロリーとサンディ・アーヴィンの姿が見えました。やがて雲が出てきてその姿が見えなくなる。結局それが生きた最後の姿だったのです。
行方不明となったマロリーとアーヴィンの後、1953年にニュージーランド人のエドモンド・ヒラリーテンジン・ノルゲイが初登頂を果たしたわけですが、1999年になってマロリーの死体が発見されたことで新たな謎が生まれます。

果たしてマロリーとアーヴィンは山頂に立つことができたのか。
アーヴィンの死体は発見されていない。
アーヴィンはコダックVPKカメラを持っていたが、そのフィルムはあるのか。
フィルムに山頂で撮影されたものが見つかれば、歴史は大きく塗り替えられます。

作者シノットは、ザ・ノース・フェイスのアスリートチームに長年所属し。米国空軍のパラレスキュー部隊のトレーナーでもあるロッククライミングのプロですが、それまでエヴェレストに興味を持たなかったけど、マロリー遠征隊のことを調べていくにつれ、その生き方に魅了され、やがてアーヴィンの死体の捜索計画に主体的にかかわっていく事になります。
シノットをこの計画に巻き込んだトムをはじめ、作者に交錯する人々のエヴェレストに来るまでの来歴が人間ドラマとして描かれ、北壁初登頂を成し遂げた中国の政治的動き、エベレスト登頂をガイドする旅行産業と増加する中高年登山者、2019年に発生した頂上付近の大渋滞という現代の事象と、1920年代のマロリーたちの群像劇が交互に差し込まれ、それぞれの人間像も興味深いですが、英国名エヴェレストが名付けられた経緯や超高度でドローンを飛ばす話、地球が完全な球形でないこと、高地でも酸素ボンベなしで十分動けるシェルパ族の遺伝子解明といった科学的な挿話も面白く、中心の謎へと迫っていく縦線はみごとなストーリー造形と言わねばなりません。