かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

クリストフ・ハインリヒ「モネ」

クロード・モネの生涯を作品である絵の変遷を見ながらたどる本。

印象派の巨匠、「睡蓮」の絵で有名。岐阜の名もなき池という睡蓮の絵を模した名所まで現れた。

モネは、絵が売れるようになって、1890年にジヴェルニーに自宅を購入し、外国から植物を取り寄せるなどして、非常に入念な、小道に沿って左右対称に花が咲くような庭を作っていった。
その後自宅下段に7,500平方メートルの畑を購入し、敷地を横切る小川を利用して水生植物庭園を作った。
モネの息子の死後、荒れ果てていたその本家本元は1970年代にようやく手が入れられて、現在では年間75万人が訪れる一代観光スポットだそうです。
年間75万人が訪問するフランス「モネの庭」 なぜ人々は心奪われる? 復元された魔法の庭 | GardenStory (ガーデンストーリー)

風刺画でお金を稼ぎ、パリに出て、サロン・ド・パリという批評家・一般人に解放されていた絵画展で名を揚げ、絵の注文が来ることを夢見ていた青年時代、モネは、人物やファッションや風景を描きながら、実のところ、光をとらえることに興味の中心をいだくようになっていく。

サロン・ド・パリはルネサンス以来の、細部まで入念に描かれた、筆の跡が見えない、アングルなどの巨匠が批評家たちの支持も得て支配的だったのだが、そこへ反逆児として飛び込んできたのが印象派と呼ばれる若手のグループである。
巨匠たちからすると印象派の連中は、ヘタウマどころかヘタヘタ、落書きのようにしか見えない。
マネの”草上の昼食”が大スキャンダルとなったのは、従来の遠近法を無視して裸を描くなら女神というタブーを全く無視した挑戦的な目つきをした、現実にそこいらにいそうな女性を裸で描いたからなんですね。しかも男性はみな服を着てるし。

モネははじめ、風景全体をパッとみた一瞬の印象をなんとか形にしたいと奮闘した。
巨匠たちの絵は、風景全体を見たあとで、部分部分をひとつずつ確認したり、戸外でクロッキーやスケッチでモチーフを捉えてからアトリエに帰って自分の記憶から何かを再生する。人間の目って最初はそんなふうに見ないのではないか、という疑問があったようである。
当時、絵の具は粉末を油に混ぜ合わせるものからようやくチューブになったくらいで、戸外で直接絵を描くのは難しかったという事情もあります。

食い詰めて引っ越しをするたびに、モネの瞬間と光への興味は、水面、それも川から海、池の表情へと移り変わっていく。

ルーアン大聖堂の向かいのアパートの一室を借りて、朝捉えた印象で絵を描き、昼絵を描き、夕方絵を描き、刻々と変わる一瞬をなんとか捉えようと努力した。

40代になってようやく絵が定期的に売れるようになった頃、戸外で直接絵の具を塗って作品を仕上げるのではなく、アトリエに持ち帰って、入念に色を重ねて自分なりの形や色を追求するようになっていく。印象を捉えるのではなく、印象を頭の中で再構築してある種の色や形の秩序を出すことに関心が移った。これが抽象画の嚆矢であると言われる所以です。
モチーフも自然の風景を捉えるだけでなく、自分で花咲き乱れる庭園、池、太鼓橋を考え、自分の思いを風景そのものの作成にぶつけていく。

豊富な作品例を時代順に並べ、興味関心の移り変わり、私生活の概観を手際よくまとめ、モネの人物像、その背骨であり背景でもある印象派とは何であるかを簡潔に、わかりやすく見て楽しく、提示してくれる本です。