かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

賃貸派→持ち家派に転向したわけ

賃貸か持ち家かというのは、その人の置かれた立場・好みにもよりますし、住み始めた後に状況が変わったり、自分の好みがわかったりして、どちらがよいか変わってしまうこともあるので、急に結論がでるようなものじゃありません。

ずっと賃貸派だった私が、2019年1月に親が相次いでなくなり、2020年5月から実家に住むようになって後、現在は持ち家派に転向している。その理由をお話したいと思います。

まず、ここ絶対に勘違いされるなぁと思ったのですが、実家に住むことになったから持ち家派になったのではありません。実家に住んでから二年後、一部屋をスケルトンリフォームすることになり、工事が終了して実際使うようになってから、持ち家派に転向したのです。

それでは経緯をお話します。

若いときから建物の区分所有等に関する法律はまやかしだ、マイホーム幻想をばらまいて金を使わせようとする政府の陰謀だ、なんて過激なことを考えて分譲マンションなんてもってのほか、買うなら一戸建てという主義でした。
そうはいっても、銀行に莫大な利子を払うのはしゃくだし、借金に長期間縛られるのもいや。それにローンを組んでそこそこの広さのある一戸建てを買おうと思ったら通勤一時間半以上を覚悟しなくてはいけない。通勤時間はできれば30分以内、最大許容度一時間、でないと人生のムダ、とも思っていたため、必然的に賃貸派でした。
住む地域や家賃相場、敷金礼金などの慣習、仕事場との距離もろもろ人によって制約条件が違いますから、私がこれから挙げる良い所悪い所はみなさまにあてはまるものも当てはまらないものもあると思います。

それでも参考になるかもしれませんので、都区内に居住、結婚以来18年間賃貸マンションに住んで感じたことを列挙してみます。
・部屋を探した時、夫婦二人か、夫婦と幼児二人までは何とかなるが、それ以上の家族構成になると選択肢が極端に少ない、またはバカ高い。
・借りるのに生計を別にしている人に保証人になって貰う必要がある。保証人を立てられないと借りることができないか保証料が上乗せになる。私の場合賃貸末期の更新時には、保証人プラス保証会社の保証料を払えとまで言われた。
ゼロゼロ物件も増えているが、南関東では敷金礼金を家賃の月数倍率で払う必要がある。私の場合、二年ごとの契約更新で半月分払う必要があり、見た目の月額賃料+管理費でコスト計算していると計画が狂う。
・敷金は退去時に全額帰ってくるわけではない。良心的な大家さんだったので、契約書に乗っている壁紙張替え、畳替え、清掃の費用だけさっぴかれて戻って来ましたが、負担する理由のない経年劣化の原状回復費も敷金から引こうとする大家さんがいるらしい。そうなると面倒ですね。どっちにしろ全額は帰ってこない。
・冷暖房、水道栓、風呂釜など固定設備の故障はすべて大家持ちで修理してもらえる。これも含めて賃料決まっているんですけどね。
・屋上の補修工事で防水を確認するため水を流したら、我が家の北側の壁から水があふれてきた。すぐ文句いったけど。
・壁にはくぎ一本も打てないし、冷暖房を自費で追加したら退去時にはずす契約となっていた。追加しなかったし、追加しても新しければそのまま退去を認めてくれたかもしれないけど、契約上はそうでした。

では次に持ち家の良い所悪い所です。
・定期的にかかる費用は固定資産税だけである。勿論外壁塗装、屋上防水もろもろ修繕費を積立ておかないとえらいことになるけど。強制的に徴収されるのではなく、自分でコントロールできるってことですね。
・近隣に変な人がいると苦労する。ゴミ捨てにうるさいとか、敷地の境目の使い方に文句をいってくるとか、プライバシーに口をつっこんでくるとか。今の所近所の人は常識人ばかりですが、今路地の反対側に建設されつつある一戸建てに住む人はどうなるかな、どきどき。
WiFiなどの壁工事は好きなように選択できる。ただし管理組合のある分譲マンションだと、掃き出し窓を境にベランダ、玄関を境に踊り場階段などの共用部分の工事は組合の承認が必要でしょう。実家は姉と二人の共有物件なので姉のokだけ貰えば何でもok。

結局最後に挙げた理由が持ち家派に転向した理由です。
だから分譲マンションはそこに入ってこない。元々区分所有法に不信感があるうえ、共用部分に手出しする時の不自由さ、修繕積立金の強制積立、管理費の使途、大規模修繕など自分の意思だけではままならない要素が入り込んでくる。

こうやって考えてみると、内装やキッチンシステム、お風呂などの設備にお仕着せで特に不満がおこらない人であれば賃貸で問題なく、内装をいじりたい人は分譲マンションが視野に入ってくるし、家全体を好きなように決めたいとなってくると一戸建てか小規模マンション一棟所有みたいになってくると思います。
家賃+管理費+大規模修繕に係る費用+契約終了時費用を購入費用とローンの利息、返済分投資できないことの機会費用、出口の売却損益とトータルコストで比較するという視点ではなく、その視点でも結局は推計になっちゃいますけどね、自分が家をいじりたいのか、いじりたくないのか、それが大きな要素になるからそこを考えてみましょう、ということでした。

ライフワークの光と影

前々回の記事で「引退するより仕事を続けたい」身近な例を2つ挙げました。
ずっと働き続けたい人もいる - かけこみリタイヤ―のダイヤリー
私は59歳10か月で定年前かけこみリタイアして専業主ふになったため、実生活ではそこまで自由時間が多いわけではありませんが、FIREでも定年退職でも、今まで仕事で相当程度埋まっていた生活時間がぽっかり空くけど、それを何で埋めるの、という選択を迫られる。

自分が続けたい、やりたい仕事で埋めるというのはとても良い選択だと思います。
仕事はもういいや、と思っている私がなぜそんなことを言うのか。
仕事をすると、相手から感謝される、話題を無理に作らなくても人と接触してお話をする、それでお金も貰えるってなんてすばらしい。
3つの要素の順番がポイントです。お金は最後に置いた。

やっぱりね、自分がやったことで人が喜んでくれるって一番の生きがいですよ。それからなんでもかんでも人とお話するって大事。
これが趣味のサークルなんかだと、自分から話題を考えて自分から話を振る必要もあるし、お金をやりとりしない関係だと無視したりスルーされたってしょうがない。話に付き合う義理はないんだから仕事よりよっぽどシビアな場面がある。
仕事ならビジネスライクに口をきくじゃないですか、これって逆に頭を使わないし孤独感を癒していることになると思うんですよ。そして結果としてお金がついてくる。最高ですね。

では、もう稼ぐ必要はないし、仕事はもうこりごり、趣味や好きなことをして生きる、と決めた場合、何をするのか。
百名山に登るとか、筋トレをして××を達成する、フルマラソンを走れるようになるとか、資格試験に挑戦するとか、数字で掴みやすい目標を立てて動くというやり方がある。
ネットを見たり図書館で本を借りて読んだり、毎日気の向くままにダラダラ過ごすやり方もある。
市民農園を借りて野菜を育てたり、大学の講座に通ったりという、他の生き物やスケジュールを利用して自分のペースを作るやり方もある。

私にとって、自分の成長が感じられることを続けるのが大事。
疲れてしまってネットばかりだらだら見て過ごす一日もあるけど、本当にそれだけだと自分にいらいらしてくる。
せっかく生きているのだから自己成長を感じていたい。

しかし自己成長を感じるような趣味や勉強にはもれなく厳しい時期というのが付いてきます。
私のやっている合唱と独唱についてお話します。

まず独唱。師匠について大体月に一回レッスンに通い、自宅で練習するサイクル。年に2回師匠が主催する発表会に出演する。
たまに師匠も出演するオペラハイライトなどの演奏会にいくと、プロと自分とのあまりにも隔たった、自分がへただった現実に打ちのめされます。これプロとアマの自分を同じ直線上で考えるというおこがましい発想があるからそうなるんだけど、せっかくのライフワークなんだからそう考えないと意味がない。
発表会では、同じように習っているアマチュアの方々でも自分よりはるかにうまい人の歌唱を聞いて愕然としたり、もっと愕然とするのは、自分よりへただなあと思っていた人が自分を追い抜いてしまった、ということに気づかされた時ですね。
素材とか才能とか色々頭をよぎるけど、結局自分が持っているもので勝負を続けていくしかないんだ、という悲壮な現実に打ちのめされる。
次に合唱。これも合唱団に貢献していると思えるうちはいいんだけど、なんだか自分だけ遅れて、もしかして足を引っ張っているんじゃなかろうか、という気持ちに囚われる時がある。もしかして迷惑なら引退か?と頭をよぎる。
出演オーディションのある団体にも所属しているから、必要人数が少ないときに落とされたり(前回)受かったり(今回)と気分はジェットコースター。
特に必死に練習してオーディションに臨んで落とされるととても落ち込みます。
喜びは悲しみと裏表で、幸せと不幸せも裏表で、起こったことが現実で受け入れなくちゃいけない。
ひりひりするような痛みからは逃れたいけど、喜びを得るためには必死でくらいついてよいことも悪いことも結果としてひきうけなくちゃいけない。

それでこそ退屈しない人生、生きているんだと感じられる。
そういうのがライフワークかなと思うし、それを見つけられた自分は幸せなのだと思う。自分のふがいなさにがっかりすることは多いけど、歌の練習を始めると歌うことの喜びが湧き上がってくる。自分を嫌いになることは多々あるけど歌うこと自体がイヤになることはない。

でもやっぱり、オーディションは落ちたくないし、発表会ではみんなから「よかったよ」ではなくて「素晴らしかった」と言ってもらいたいなぁ。
まだ一度も経験ないですけど。