かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

七帝柔道記IIがおもしろい 文学とは

七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり/増田俊也(小説 野性時代) - カクヨム
単行本でIを読み、ネットでIIが無料で読めるのを見つけて喜んで読んでいます。
七帝とは、北海道大学東北大学東京大学名古屋大学京都大学大阪大学九州大学の旧制帝国大学のことで、その前身である旧制高校が、私立専門学校生に体格で劣ることに対抗すべく、「練習量がすべて」である寝技中心の独自ルールで戦うリーグを作った。
主人公の所属する北海道大学はここ5年間ほどボロ負けで最下位をうろうろしている。原因はインターハイや学生選手権で活躍した体格にすぐれた上級生がいなくなってしまったのに小粒な現役生ばかりであること。
練習量がすべて、と唱えながら、結局は素質のある強いメンバーをひっぱってこないと勝てないという非情な現実に打ちのめされているわけ。
柔道は勝ち抜き戦や総当たり勝ち点方式で、どうしたって強い個人を揃えたチームが勝ちあがっていく。
私の生息するクラシック歌唱の世界でいうと、オペラアリアや歌曲の独唱と一緒ですね。どんなに練習や研鑽を積もうとも、元々輝かしくてホール中に響く声を持っている人にはかなわない。
文学というのは、持たざる者の苦悩、持たざる者がそれでも持っているものを使ってなんとか現実を望むような世界にすべく這いまわる苦悩、そこに共感を呼ぶところが存在意義なんだなあと思います。
経験がまったくない世界では、登場人物に入り込んでその苦悩を一緒に味わう。
多少経験があったり、自分の経験に引き付けられるものを見つけた場合は、主人公の苦悩に自分の苦悩を重ね合わせて味わう。
登場人物たちの息遣いが感じられるかどうかは、作者の筆力に負う。
今第9話を呼んでいますが、水産大学戦で重量級選手を投げようとして右ひざを痛めた主人公が寝床の中で膝が硬直して激痛に耐えるという話が出てきた。
そういや8月の独唱発表会でコンサートグランドを移動後、ストッパーを入れるため三人で持ち上げた時左肩がちょっと伸びちゃってずれた感じがしたんですよ。そうしたら二日後に左二の腕が痙攣して肩がぎゅーっと締まって、始終もんでないと神経に触っているかのような激痛が走るんですよ。まさに登場人物の苦悩を自分の苦悩、いや苦痛かな、と重ね合わせて共感して読んでおります。
柔道とクラシック独唱の個人的素質による悲哀という共通点も先に挙げましたが、これが同じ歌唱でも合唱となるとちょっと違ってきます。
各人の素質才能技能が平均以上にすぐれているに越したことはないし、それを目指していないと合唱コンクールでは勝てないのではありますが、独唱で凄い実力を示す人を急ごしらえで集めても全然勝てない。これが合唱の面白いところ。
練習時間を共有してアンサンブルを磨く、この時間をいかに集中してとれるか、が勝負なところがあって、アンサンブルを乱すほど出来ていない人が一人でも混じるとダメではあるけど、うまい人だけ寄せ集めても皆がいいなと思うような素敵な合唱には絶対ならない。ここは柔道の団体戦と違う所ですね。
合唱は各自が自分で努力してそれぞれ実力の段階は違うけれど持ち寄って力を結集すれば十分勝機があるという、才能も素質もない私にとって不思議で素晴らしくありがたい世界であるなとあらためて思いました。

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ずっと働き続けたい人もいる

私なんか、座椅子に腰をずらして半分寝っころがった状態でぼーっと本を読んだり、林の間を吹き抜ける風の音や鳥の声、虫の音に耳を傾けてすごしたいと思っているのですが、そんなゆったり時間が過ぎていく*1、のを望んでいない人もいるのですね。

先週合唱コンクール支部予選があって、表彰式まで残っていたら、隣のブロックに現在休団中の合唱団の団員たちが集まってまいりまして、そのうちの一人、私より3つ上の方とちょっと会話しました。

退職した後、一年位プーでいたけど再び働き始めたそうです。「借金もあるしね」と言いますが、深刻そうな様子ではまったくなく、むしろ仕事をしてうれしいという感じ。
大体住んでいる場所は東京じゃなくてずっと京都だし、お母さまのみとりも終わったはず。旧帝大工学部を出て一部上場企業で定年後延長嘱託まで勤め上げた人だから、実際のことはわかりませんが、お金に困っているような状態ではないはず。だってね、月に一回以上合唱団の練習のために新幹線に乗ってやってくるんですから。
彼がいうには、現役時代コンサルをずっとやってきた流れで、市役所の再就職支援コンサル相談員になったとのこと。なんだか生き生きとしていました。

表彰式が終わって、解散となって、久しぶりにあった、また別の方とお話しながら帰ったのですが、一緒に合唱をしている、これまた私とも付き合いの長い旦那さんはどうもずーっと働いていたいんですと。
「ええっ働くの辞めて合唱三昧、キャンプ、アウトドア、登山三昧じゃないんだ」と驚いた。
歯科医院を開業しているから定年もないし、自分が続けるといったらいくらでもできるんですが、しょっちゅう山に登ったり、キャンプへいったりしているし、一時は別の合唱団で練習責任者として指揮棒をとってた位の人なんで、いい加減廃業しちゃって趣味に全振りしたって何の支障もない。お金もあるしね。
でも、色々な人に会って、治療して喜んでもらって、会話したりという刺激が楽しいらしいです。

ということで60代半ばに差し掛かろうかと言う、私と同年代若しくはちょい上のお二人サンプル2ですが、仕事をやっていないと、どうやって時間を過ごしたらよいかわからない、又は、手持無沙汰になるのはいやだ、と考えている人もいるってことがよくわかりました。

多少理解できるのは、私のように一人が楽しい好きだっていう人間ばかりではないということ。そうすると人恋しい。
仕事をしているとわざわざ努力して人間関係を一から作っていく必要なく、“人がかかわりあいの輪に流れ込んでくる”。
お金を貰わない生活になると、こちらから積極的に出て行かない限り、人付き合いの輪は広がりませんから。私のように、合唱団いくつかという狭い薄い関係がちょっとあればいいや、という人ばかりではないということですね。

もう一つは、お二人とも、子供がみんな独立しちゃっているという点。ティーンエイジャー二人抱えておなかいっぱーい、になっている私と違って、やっぱり余裕というか隙間があるからそちらを埋めにいっているのかもしれません。

ということは、私も二人の子供が独立したら働きたくなるのかしらん。

*1:ゆったりというか気がついたら「えっもうこんな時間なの!」だから飛ぶように時間が過ぎていく、と言った方が正しいですね。