かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

漫画は文章よりも読みやすいのか

母が存命中のことです。ある漫画が面白くて考えさせられてとても感銘したので「面白いから、読んでみなよ」と母に渡した。
ところが一向に読まない。読書好きで文庫本などは沢山読んでいる。老眼が進んでいるけど読んでいる。なのに漫画は読まない。
私は文章も読むけど漫画も沢山読む。子供の頃から。
母は文章は読むけど漫画はほとんど親しむことのなかった年代。
母にとって漫画という形式は慣れていないから、とても読みづらいものなのだ、ということがようやくわかりました。

漫画には読み方のお約束、ルールが沢山ある。
日本だと右上から左下にコマを辿っていく。アメリカは左綴じだし、読み方も逆ですね。
心理描写で背景にお花がいっぱい並んだり。
青ざめた顔は、額に細かい縦線が入る。
私は小さいころから漫画を読んできたので、このような数々の約束事をほとんど意識しないで読み取ることが出来る。
ところが漫画といえば、新聞の四コマまんがかポンチ絵のらくろくらいしか知らない母は、漫画が独特に進化させてきた描写表現について何も知らないので、そこでいちいちつっかかってしまうのでした。
結果、文章はいくらでもすらすら読めるのに、“漫画すら”読めない層が発生した。

今はスマホ画面で漫画を読む人口がじわじわ増えていると思います。そうすると紙に印刷された漫画とは違った表現、文法が開発されるかもしれない。
そうすると私は時代に取り残されて“スマホ漫画を読むのが苦痛になる”人間となっているかもしれませんね。

こういう形式の慣れって、現代音楽とか現代芸術なんかの鑑賞とも一脈通じるものがあると思うのですよ。わけわからないまま沢山触れてなんとなく読み取るコツとか心にひっかるツボを感じ取れるようになって初めて良さがわかるというか。わけわからん芸術のほとんどは、本気度の凄さは門外漢でもすぐ感じることが出来ると思いますが、その“良さ”がわかるのには接触時間が必要なのだと思いますねえ。

合唱や声楽の音取も同じ。初めて取り組む作曲家の曲は、その人の癖、こういったらこうきたか、ってところに素早く反応できなかったり、和音の推移や曲形式になじみがなくて戸惑うことが多いのです。一曲仕上げると、同じ作曲家の別の曲を始めた時「これ、あそこの曲のここで〇〇だったよね」と響くものがある。仕上げる難易度が易しくなるわけではないけれど、なじむまでの時間は確実に早くなる。

知らない芸術、知らない味、みんなそうだと思う。だから「わけわかんない」と思っても「なんかすごい」と思ったものは無視しないで立ち止まって好きになれそうかどうか考えてみるのも人生を豊かにしてくれるのじゃないだろうかと思った次第です。