かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

校則と制服をめぐる座談会

news.yahoo.co.jp
学びがありましたので、つらつらと書いておきます。
校則を守らせるために、教師に過重な負担がかかって本来の教育にかける時間がけずられるようなことになってはいけないが、生活指導の基本としてなくてはならない場合もある。
校則に違反している生徒を指導していく中で、時代にあわない、おかしな校則に気づくこともある。
教師自身が疑問をもつ校則を指導するつらさ。教室の環境を良くしたいのに、頭髪チェックやネイルをとってこいと言うことに労力をとられる。自分が見過ごしても他の先生が指導する。「〇〇先生はいいと言ったのに」と思われると信頼感がなくなる。
生徒たちは情報に敏感だから、他の自治体やニュースで「なんでこんな指導するの」という疑問が沸き起こってくると、信頼関係の構築が校則のせいで遠回りになる。
1980年代の荒れた時代を知っている教師や地域住民は、校則をゆるくしてしまった時に荒れたら取戻しが大変なのでは、という気持ちがある。生徒の荒れが地域に指摘されると最終的に学校が引き受けざるをえない。校則があることでクレームが減っていると考えると校則のコストは高くない、という理屈も出てくる。

短いスカートを指導したら、「私だってこんなに短くしたくない」という。スクールカーストでの同調圧力で短くしていたとのこと。
服装の変化は、気持ちの変化の次にあるから、変化の原因となっている心情に向き合うべきなのに、まず服装の指導をしてしまう。これでは生徒の気持ちの問題は全く解決していない。
一部の教員は「恰好をちゃんとさせていれば、『荒れ』が始まらない」と信じている。本当は「荒れ」の兆候を検知するためのものではないか。
制服がないと指導する必要がまったくない。ただ、2,3日同じ服を着ている子、学校ジャージしか着てこられない子がわかるが、どうしようもない。
自由にした場合、お金をかけることだけがおしゃれではないと子供たちはわかっているので、むしろ華やかなきれいな服を着ているグループと、服装が地味な生徒というスクールカースト的な分断が目立ってくる。
制服でもYシャツを1枚しか持っていなければ毎日洗うのですぐボロボロになる、スラックスはへたってくる。余裕のない家庭ではほつれを自分で縫うのでそこが目立つ。結局制服でも貧富の差は可視化される。だったら制服と私服のどちらも選べるようにしてファストファッションにした方がむしろ清潔なのではないか。
おさがりは貧富に限らず一定数いるので、そこまで可視化されないという意見もある。ただ、服をメンテナンスできる環境であるか否かというのは、1~2年経つことによって見えてくる。

下の子の学校の先生も「服装の乱れは生活の乱れ」と言っていました。私も考えなしにそうね、と思っていましたが、じゃあそこで服装だけ指導したって揺れ動く子供に寄り添ったことにならないのですね。
おさがりの件ですが、実は我が家もおさがりです。PTA主催で卒業生から集めた制服やシャツ、ジャージを無料で配布するということをやっておりまして、そこで貰ってきました。まともに新調すると10万円近くかかりますから。
「やったー節約できたー」と喜んでおりましたが、メンテナンスができるできないで余裕のない家庭の姿が見えてくる、というくだりは心が痛みますね。
「私服にしちゃうと貧富の差が露になっちゃうじゃないか」というステレオタイプの意見には、制服だって貧富の差はみえちゃうし、おしゃれと服に金をかけるかどうかは必ずしも相関しないし、今の子供達はそれでいきなり見下したり卑下したりするわけではないと。