ちょっと大きすぎるテーマですが、せっかく思いついたので書いてみます。
ロシア訓練兵銃乱射事件 従軍拒否が原因か | khb東日本放送
直接のきっかけは、この事件の記事。
多分、刑事罰が下るとか言われていやいや参加したイスラム教の兵士たちが、イスラムを脅かす敵と戦うのならともかく、ウクライナと戦うのは自分たちの戦争(=聖戦)ではない、と言っていたのに対して上官が「アッラーは臆病だ」とかなんとか侮辱したらしいですね。お祈りの時間も取ってくれなかったという不満も溜まっていたらしい。
それで銃を手にした機会に乱射、2人はその場で射殺され、1人が逃走中とか。
「志願兵」の訓練中の出来事、とされているので動員対象でもないのに騙されて強制的に連れられてきた可能性が高いです。
国民国家の時代になって、国家イコールお上の行う洗脳と権力へ抵抗することをあきらめがち。ナチスドイツや戦前日本もそうだったでしょう。しかしムスリムの人たちは一味違う。国家に隷属するはるか前に宗教に従うことを心から誓っている。
すると教義に反することを国家が押し付けようとすれば、自分の信じるところに従って強烈に反抗してくるってことですね。
イスラム教徒というと、女性を家にひっこめさせたり遺跡を破壊したタリバンとか、ISとか日本では極めて印象が悪い。しかし国家より先に宗教に帰依しているとそちらの根本方針にあると信じる自分の良心や道徳律に従うから、国家がうまいこと洗脳しようとしてもダメ。教義に従っているかのような騙りでも緻密に考えられれば別ですが、ロシア軍にはそんな気の利いた人種はいなかった模様。
日本はゆるーい多数宗教つまみ食いで、熱烈な、自分の依り代にするほどの信仰心のある人はごく少数だから、国家の言うことを聞いちゃうんだなあと思った次第。
もっとも国家にまつろわない理由が、別の教えや体制にまつろっているからだ、という点で人間って社会的動物だしやっぱ大勢に順応していかないと生きていかれないと心の奥底では思っているから、単に別の主義主張に国民国家が負けているだけ、本人が独立不羈の気概をもっているわけでもないですね。
生き方の指針として、複数の視点や考えの拠り所を持っていれば、一方がおかしな方向に傾いた時に、もう一つの力で相対的に眺めて抵抗できるといいなあと思ったんですが、くだんのイスラム教徒のように“強烈に”一つの拠り所でないと対抗勢力なり得ないかもしれません。
それに元々おかしな方向、個人を奴隷のように使う宗教だったら眼も当てられませんし。