かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

リタイヤ―にありがちな無気力と付き合う

自由にはすぐ慣れる

辞めた直後の解放感、朝目覚めて「あー急いで会社へいく必要もないし、いやなクレーム処理もないし、ノルマとか部下管理の悩みもない、何かしなきゃいけないことに追われることもない」と安堵して二度寝するという。
しかしこの解放感長続きしませんでした。すぐに慣れました。
日中、だらしない格好で街中をうろうろして罪悪感にとらわれる、そんなの誰も見ていませんでした。この自意識過剰は取り除くのに二か月くらいかかったけど、コロナで一気に吹き飛ばされた幸運な人もいると思います。

そして自由を持て余すようになる

しかし人間は贅沢と言うか我儘というか。
しなきゃいけないことに一切追われることがなくなると、定期的に無気力になるんですね。
私の場合は、現在でもそうです。定期的にやる気がまったくなくなる。
専業主ふなので、配偶者や子供の朝の弁当作り、洗濯、洗濯とりこみ服たたみ、掃除といった家事はあるけど、これらはレベルを下げれば無気力時にもオートマチックで出来ている。これがオートマチックで出来なくなったら、それは鬱病の入口でしょう。

暇に対する罪悪感

それで無気力になって何が良くないかと言うと、一番良くないのは、「あー今日は一日だらだら無駄に過ごしてしまった」という罪悪感が生じること。それからダラダラして動かないことが蓄積すると、多分健康を損なうこと。これは長期的な影響で、むしろダラダラしているとネットも面白くなくなってくるし、図書館から借りた本も読み終えることなく返却して達成感がなく、自分への怒りが湧いてくる。この精神的な影響が短期的にはよろしくない。

ボーっと過ごせる才能

近所に、表通りに面している家に住んでいる、ちょっとぼけているんじゃないかと思われる女性が毎日家の前にでている。あたりを観察しているようなしていないような感じで佇んで、時々道行く人におじきをしている。
これくらい日がな一日道行く人や車を眺めてボーっと自分への罪悪感なく過ごせるのはある意味理想かもしれませんが、やっぱりちょっとやだ。
せっかくできた宝物の時間は、自分の知識欲や成長欲に使いたい。
でも定期的に無気力が襲ってくる。
解決策というほどではありませんが、やっていることいないことを含めて、こんな行動で時間を埋めたらいいんじゃないか、と思う所を記していきます。

ぼーっとするなら自然の多い所で

ボーっとするのに都会の道行く人や車を見ているのもいいけど、鳥の声や葉擦れの音、太陽の傾きなんかに身をさらして周りが静かだけど変化している所に身を置きたいです。

太陽の日差しを浴びる

間接的でもいいけど太陽光を浴びないと、鬱になるという話を聞きました。

夜は早めに床に就く

とすると夜更かしはよくない。ショートスリーパーでない限り7時間睡眠はとりたい。脳が昂奮して眠れない日もあると思いますが、無理に眠ろうとしなくてもいい。暗くして目を閉じて頭の中はぐるぐる動いていてもいいと思います。眠るのではなく、床に就くのがポイント。スマホやパソコンの光る画面を見たり、灯をつけて読書したりしないこと。眠れなかった意識があっても眠れていますし、体は休まっています。脳が勝手に動くと脳内の記憶も整理されるのじゃないでしょうか。

できれば他の人と関わる趣味や作業を持つ

私の場合は合唱団。会計係をやっている団は定期的に他の会計担当やスタッフとメールで連絡を取り合ったりする。練習のスケジュールで〇日〇時にでかけないといけないとか、〇月〇日にオーディションだから準備しなくちゃとか、出来事や行事スケジュールを強制されるのがよい。
ここでのポイントは二つあって、
・他人とのかかわりが淡い内容であること
・スケジュールが他からの強制で動かざるをえないこと
かつての同期や同級生と飲み会もいいけど、そうしょっちゅうやるわけにもいかないし、自分の人生や他人の近況の語らい、本音をぶつけあうのも、考えさせられるような刺激も頭を整理しつつ続けるのは疲れるし、かといって昔話で終止すればすぐに種切れ。
お薦めの本の書評を書くのに似て、自分の今の問題意識を自分の経験から提示して相手の本音を引き出したり、話題をふりつつ相手の興味を引き出したりして、自分にとって充実した時間を作ろうとする工夫、テクニックが必要になってくる。
しょっちゅうあっている人とずっと濃い中身でやりあうのは疲れるし現実的じゃないですね。
とすると私の合唱団活動みたいに、一緒に歌っているけどほとんど個人的な会話なしで時間が過ぎていき、二言三言事務的な会話やたわいない意見を交わす、何か一緒にやっているけど、淡いつきあい。これが人恋しさを満足させつつ、人と関わって疲れるという我儘を生じさせない知恵かなと思うのです。
もう一つの他律的にスケジュールが埋められてくる、というのも、旅行に行ったり映画を見たりする計画でも勿論いいのですが、これだと予約する意欲がまったく湧かない時期がくると途端に頓挫してしまう。だったら年間ある程度決められた計画を押し付けられているのも凡人で意欲減退気味な私には丁度いい。
一流選手には一流コーチといいます。努力そのものより努力を継続することが難しいのでそこは他人の手を借りるのがよい方法ですね。

何でも毎日のルーティーンに埋め込む

それの応用として、毎日無意識のうちにやってしまうことを増やす、というのも有効です。何か始めるのに初動のエネルギーが一番必要だというのは物理法則だけではありません。面倒くさいと思う前に体が動いていた、となればそれはたいしたもの。数を増やして時間を埋められれば、理想ですね。長期的にはかなりの成長や成果が見込まれます。
なかなか難しいんですけどね。

だらーっと過ごすことに罪悪感をいだかない

最後はこれです。肉体的な健康のためには、ただ寝てたり液晶画面の前でずーっと座っているのは精神によくない経験がありますから、散歩や買い物に出て自分の周りの空気を換えることは必須だと思いますが、その間ボーっとしてたりしても全然かまわないと思います。「今日はなんにも実のあることをしてない」「なんだか分からないけど時間が過ぎてもったいなかった」なんて思わないこと。これは大事。

せめて場所を移動する

体を休めるために動かないことはもちろん大事ですが、頭を休めるために、自分のいる周りの空気は変えるchange of the air転地療法とまで言わなくても、近所に外出してしらずしらずのうちに脳に刺激を与えることは大事だなと。
体力は回復しているのに無気力だからといって、リビングにずっと座ってたり布団にこもっていたりしても無気力具合が酷くなる。だったら運動するまでいかなくても、移動しましょう。それだけでもかなり違います。
今は暑くて出かけるのは嫌でしょうけど、行きつけのブックオフや図書館、ホームセンター、ショッピングモールなど冷房の効いている目的地をいくつか決めて置いてそこへ行きましょう。別に行って少し涼んだらすぐに帰ったって全然かまいません。知らないうちに脳に刺激を与えるのが目標ですから。
体を動かすと気分は快活になります。でも私のように運動嫌いな人もいると思います。だから最小限歩くことだけ運動として取り入れるということです。