かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

合唱団と日本型終身雇用の変容

何やら三題噺めいていますが、合唱団員の参加形態や意識、それにともなう合唱団の構成や雰囲気は、日本の会社における常勤雇用の減少と終身雇用制度の瓦解といった会社組織の在り方を先取りしているのじゃないか、という考察です。
きっかけは、知り合いの合唱指揮者のFacebookでの投稿でした。

最近の20代、若い世代の合唱団員は、せいぜい30人程度までの小規模から中規模の、月に2回程度で練習頻度の低い合唱団に入る。しかも掛け持ちで。3~5個の団を掛け持ちしている人も珍しくない。そうすると休日の練習はバッティングして出席率が落ちるし、平日は残業で来られない人も多い。自分で出来ることをきちんとやっている人は多いと思うが、それでもアンサンブルを統一し、合唱団のカラーを打ち出していくには、ある程度の時間共有は必須である。悩ましい。

という趣旨の発言でした。

1980年代後半、私が社会人で合唱団に所属した時のことを思い出してみると、あたりは職場合唱団や一般の社会人合唱団は少なくとも50人規模、100以上を抱える合唱団が多かった。それでも職場や大学合唱が全盛だった70年代からは減ったと言われていた。
練習は毎週〇曜日、二か月に一回土日合宿というペースで、合宿の頻度は知らないけど毎週一回というのがデフォルトでした。あるとき「合唱団を9つかけもちしている」と飲み会で発言した人がいて、みんなが「えー、練習いけるの?」って驚いたら、「土日ダブルヘッダーの所もあるし、月一の練習のところもありますから」と言っていたので、みんなの頭の中には、どこも週に一回は練習しているだろ、という無意識の前提があったと思います。
そして毎週の練習の後は必ず飲みに行く。そのための行きつけの飲み屋もあっていつも大人数のために時間、大体午後9時半とか10時とかからですが、その時間になると席を空けて待っていてくれました。
コンクールの後や演奏会後、その直前直後の練習などで皆が語りたいときは、二次会三次会ではしごして終電で帰ったり誰かの家に泊まったりということもありました。合宿では土曜の夜練習の後は宴会。これも下手をすると午前2時3時まで飲んでいたので、翌日は二日酔いのベース*1に成り下がる。
それ以外の休日や夏休み冬休みは、キャンプ、バーベキュー、スキー(流行っていました)、海水浴、花火大会と、よくつるんで遊んでいました。
コンクールに行くと、他の団は、敵若しくはライバル認定でバチバチ。所属意識が強かったですね。

こうやって書いてみると、当時の会社員の時間外や余暇の使い方と極めて似ていることに気づきます。相手が違うだけで。
所属意識の強さも似ている。他団体を他人認定しているし。24時間一緒にいる感覚で、ふと思い立つとどうやったら団にもっと人が入るか、もっと活動が盛んになるのかと考えている。合宿が多かった時は「家族より一緒にいる時間、長いねー」なんて言いながら笑い合っていました。
私は職場で「用事がないのなら残業終わったら飲みに行くぞ」という説教臭いおっさんに囲まれていて、そんな付き合いが嫌で嫌でしょうがなかったので、合唱団へいく、夜間各種学校へ行くなどして週5日職場の人間関係に24時間拘束されることから逃れようともがいていたわけですが、人が違うだけでやっている内容は一緒。
つるんで遊ぶ先が違うだけ。
そんな状態が1990年末ごろまで続いていましたが、今考えると体力がありましたね。

それが1999年にとある別の合唱団にかけもちするようになってから少しずつ景色が変わってきました。この時はベースとなる所属合唱団があって、その別の合唱団は月3回だけで仕上げていく、イベントごとに集まるという雰囲気の合唱団でした。参加した時の挨拶も「どちらからいらっしゃったんですか?」という質問は出身地や出身大学を指しているのではなく、答えは「〇〇合唱団からです」という挨拶を交わしていたくらいですから。
「いつまでつづくかねー」と言っていたベンチャー集団合唱団が、週一練習の常設合唱団となり、いつしかベースとなる所属合唱団には不満があったのでやめて完全に軸足を移した。これって転職と同じですね。
この合唱団では練習後連れだって飲みに行くことはありましたが、休日にイベントをすることはなかった。みんなそれぞれ別の活動に時間を割いていて忙しかったので、集まった日の夜は交歓するけど、それ以外は他人、と時間の使い方はきっちりドライに分かれていました。別の場所で会った時に知らんふりをするとかそういうことではありませんけど、切り替えがきわめてはっきりしていた。

2000年代になると、この合唱団に高校を出てから、又は大学合唱団に所属しつつ入ってくる、という若者が多くなってきます。そうです。この頃から目的別に合唱団を使い分ける勢、若いときからそれを自然に行う人たちが増えてきました。
練習後の飲み会も、行きたい人が行きたいときに参加する、行きたいけど子供がー旦那が-という人だけ後ろ髪を引かれながら帰るというような、ほとんどみんながいく時代ではなくなっていました。

職場でも「残業終わったら飲みに行くぞ」から「若い人には若い人同士でやることがあるから」と飲み会の頻度も減り、強制参加圧力も減っていきました。職場でのサークル活動はいくつも続いていたようでしたが、行かない人はいかないし、労働組合に会費を払う人も激減。時間外や休日は職場の人間関係を離れて過ごす人が主流になりつつある時期でした。私も飲み会は何かと理由をつけてお断りすることが増えてきて、それで何も悪感情を持たれなくなってきました。

こうやってみるとすべての時間を会社の人間関係で過ごす人が若い人を筆頭に減ってきて、それに中高年も合わせたい人から合わせていき、共働きで時間に余裕のない母親層が増えたのと同時に、残業減らせの上からの指示と相俟って、時間が終わるととっとと職場をさる雰囲気が醸成され、契約社員やアルバイトに仕事をおろす割合も増えて勤務形態が多様化、仕事をするために一時的に集まっている感が高まってきたのが2010年代あたりからでした。
合唱団は、任意団体で営利目的じゃないから、いつでも参加を取りやめることができるし、全部出席しなくても、雰囲気として怒られなければそれで参加継続できる、というお金を貰う組織よりはるかに個人裁量が発揮しやすいことから、会社よりも、合唱団の参加形態の多様性が先行していったのだと思います。
そうそう、連絡も1999年当初からメーリスで取るようになっていたしホームページも作っていました。法律や内部規則、守旧派一大勢力おっさんの抵抗がないので合唱団の組織形態や運営方法がすぐさま新しいものを取り入れるのに抵抗がなかったですね。

最近は合唱団で、lineworks上で告知して、土曜日か日曜日に有志を募って山登りをしているようです。私はおさんどんがあるし肩を痛めているので指をくわえて見ていますが、ちょっと参加したい気分です。
また先日歌の師匠の発表会のとき、私が休団している合唱団の仲良しで久しぶりにしゃべっていたら、「合宿はいいんだけど、翌朝の練習からきっちり声出したいから、個室にしてもらえないかなー。そんな夜飲み会出てないで日ごろの疲れを癒したい」という意見が飛び出し、年に一回程度の泊まり合宿では相変らず夜遅くまで飲み会をやっているらしい。練習後に飲みに行く人は必ず飲みにいっているようですから、翌日の事を考えていけない人たちも、合宿ではじけすぎるのが翌朝に影響していやだっていう人たちも、合唱以外で同じ趣味の仲間と話をする時間を楽しみたいニーズがある。だから山登りというのも、その欲求を満たすための一工夫を各自が考案しつつあるということの現れなのかなと思ったりしています。やっぱり趣味を同じくする同士で語りたいことは沢山湧き出て来ますからね。そんな揺り戻しみたいなものも感じつつ、みんな自分にとって居心地の良い参加形態や距離感を模索していく事が続くでしょう。

というわけで、音楽のジャンル別や居心地の距離感の多様性をつまみ食いするように、こっちの合唱団、あっちの合唱団と掛け持ちする人が沢山いる現在の合唱界からこれからの会社を占ってみると、必要な都度、必要な業務、やりたい仕事をこっちの会社、あっちの会社、はたまたあっちの非営利法人と時間を切り分けて働く、どこともゆるいつながり、自分のプライベートと整合するように調節可能な働き方というものがどんどん進んでいくのではないか、と思う次第です。

*1:喉ががらがらで低い声しか出なくなっている