かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

年賀状じまいに思う

以前からこなかった人には出さない方式で年賀状の発送枚数を徐々に減らしてまいりましたら、2024年新年に来た年賀状のうち2通が「今後の年賀状のやり取りはご遠慮したい」文言あり。年賀状仕舞いの挨拶を初めて受け取りました。
一通は職場で新人の時の一期上の先輩、もう一通は大学時代の同級生。どちらも63歳で私と同い年です。
資産や持ち物だけでなく人間関係も断捨離。印刷された文言を見て「思い切ったなあ」「決断できて偉いなあ」と思いましたが、同時に若干のもやもやも感じました。
一年から数年職場で一緒のチームで仕事をしたけれどそれっきり会っていない人とか、高校や大学で同級だったけどそれっきりなのに、なぜか年賀状のやり取りだけは続いているという関係の人はいます。今後も合わないからもう年賀状のやり取りもやめちゃおうかな、と思うことしばしば。
そういう人に限って、毎年律義に元日に賀状が届いたりする。
私も年賀状仕舞いの歳かなあ、と思わないでもありませんが、まだ早いかなとも思う。
そこへ今回みたいに「これっきりにしましょう」とくると、なんだか、微妙な関係だから分かれようかなあとうっすら思っていたら相手から別れ話を切り出されて「私が言うつもりだったのに―」みたいなもやもやを感じてしまいました。一瞬ですが。
今後どうするかというと、来る人には出す。来なかった人には出さない。これを継続します。
なぜかというと数年に一度演奏会に行ったり来てもらったりする友人から「合唱してる?」なんてコメント付きで年賀状が来たから。
自分語りは独りよがりかと思っていたけど、こちらの近況を開示することこそ、年賀状を貰った時の嬉しさだと思ったから。
家族写真を必ず載せているので、「子供大きくなったね」と思って貰える位には役に立っているだろうけど、合唱仲間から「合唱してる?」なんて言われちゃうとこれは発信不足です。しかも今後も歌仲間として大事にしていかなきゃならない関係だし。
姉は「SNSで“あけおめ“って挨拶できちゃうんだから年賀状なんかもう必要ないんだよ」と言いますけど、ちょっとした近況が書いてあったり家族写真が載っていたりするものを貰うとやっぱりうれしい。自分がうれしいと思うことは相手も嬉しいだろうから、継続しておこう。
こんな風に思ったのでした。