かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

徳川頼貞「薈庭楽話(わいていがくわ)」中央公論新社

ロンドンにて、ラ・ボエームのミミのアリアをメルバが歌うのを聞く。歌は素晴らしいけど、ミミって病弱で小さい若い女性じゃなかったっけ。目を舞台に向けるとメルバの偉大な体躯と隠せない年齢、うーん。
大西洋航路にて。船酔いで苦しんでいると、隣の船室で朝から晩まで練習しているセロがうるさい。もうすぐニューヨークに着く。船の事務長とその風采の上がらないセロ弾きから、無事到着を祝う演奏会を開くので是非ピアノ伴奏していただけないか。いやいや人前で演奏したことないし無理ですよ。と断った。船のホールで演奏会。セロの奏者名、パブロ・カザルス
徳島に出かけて、第一世界大戦敵国のドイツ人捕虜が演奏する、ベートーヴェン交響曲第9番第一楽章を聞く。
プッチーニから「あなたは私の初めて接する日本の人です。私の作ったマダム・バタフライ、あなたはどう思いますか」と聞かれる。
サン・サーンスの自宅へ招かれる。「私はエキゾチックで夏のような花咲き乱れる場所が好きです。“サムソンとデリラ”もアルジェリアの別荘で書いたんです。日本にも行ってみたいけど年取ったからもう無理かなあ。」そしてピアノで自作曲「フランス軍隊行進曲」を弾いてくれた。
明治から大正、昭和にかけて西洋音楽の普及に心血を注いだ作者でなければ書けない、貴重な芸術家たちの素顔が沢山。
明治期に西洋音楽が浸透したのは、文部省唱歌以外に軍歌が大衆に受けたからだというのは初耳でした。
昭和16年に50部を私家版として印刷したものが東京文化会館資料室に一部のみ残っており、それを底本として今回新規に出版されたものです。また公刊は昭和18年のこと1500部印刷されましたが、戦時中の言論統制化また用紙の割当てによるものであったためか、相当部分が改変削除されているそうです。こちらは参照版とされました。
私は、後に大芸術家とされる人々の、芸術を追及する自己鍛錬の厳しさに目を奪われました。
西洋音楽に親しむ人は楽しく読めますし、芸術を追及しようという方にも大変参考になると思います。