かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

警官でもないのにドヤ顔で注意する人について

横断歩道でない所で渡ったり、黄色なのに交差点に進入したり、車が来ないのを見はからって赤信号なのに横断してしまったり、自転車は下りて進みましょうと出ているのに乗って行ってしまったり。

ほとんどの人は、危ないと思った時くらいしか声を掛けないと思いますが、ここぞとばかりに注意、というか説教をする人がいます。
これ自分がされたらムッとします。何故かと考えると、相手が正論を言っているので反論ができないのと、なぜ赤の他人にそんなことを言われなきゃならないのかという気持ち、自分が優位になれる機会を窺っていて、ここぞとばかりにマウンティングをしているだろうという不快感があるからですね。

大体、自分だって、深夜の交差点で車がこなかったら、渡るだろう、とか、これくらい目くじら立てなくていいんじゃないの、という“自分が言われたらどう感じるか”を参照してあれこれ言わない精神年齢大人の人が大半だと思うのです。

ところが中には、自分の自信のなさや劣等感から、機会さえあれば、それを打ち消すために他人を使ってやろうと虎視眈々な人もいるわけで、そういう人が人に注意している場合は簡単に見分けがつきます。

[見分け方]
人に道を尋ねる時と同じしゃべり方をしているか否か。

あなたが公共の場所で、赤の他人に道を尋ねるとします。その時、「すみませーん、ちょっと教えてほしいんですが」というような丁寧な問いかけをしますよね。
「ちょっと、ちょっと、これどう行ったらいいんだよ」とは声掛けしないはず。
マウンティングの機会を窺っている人は、人に注意する時、完全にぞんざいな口のきき方をします。「俺は私は正しい、あんたは間違っている」ということを言いたいのであって、その人の行動変容を促すという目的はこれっぽっちも含まれていません。
交通法規の目的は、みんなが同じ状況で同じ振る舞いをすることを期待することで、お互いに譲り合いを予想できて、安全に通行できるようにすることが目的です。細かい取り決めは事故が起こった時に当事者がどう納得すべきかあらかじめ示すことと、予想される紛争をあらかじめ抑止するために定めているものであって、言葉尻(この場合は行動尻)を捉えて、安全な場所から非難してスカッとするためにあるんじゃありません。
ことは交通の場面だけではなく、ネットマナーでもそうです。自分なりの常識を働かせて判断する。法律や決まりの文言、相手の発言の本意を無視して、都合よく切り取って振り回すことは常識ある社会人の振る舞いとは思いません。厳に慎みたいと思います。