かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

高校の現代国語で文科省に逆らって小説を取り上げた教科書が占有率一位となったことについて

いやー文科省にも困ったものですね。

実社会に必要な話す・聞く、書く、読む能力を十分育成できていないから国語4単位を二つに分けて、実社会に必要な話す・聞く、書く、読む能力を育成するための論理的、実用的文章を扱う「現代の国語」と、古典や近現代の文学作品から言葉の理解を深める「言語文化」に分けました。
そして「現代の国語」では,現代の社会生活に必要とされる論理的な文章及び実用的な文章とすることとし、論理的な文章も実用的な文章も,小説,物語,詩,短歌,俳句などの文学的な文章を除いた文章である。
として、「現代の国語」に小説が教材として載ることは原則認められないという立場をとった。

そうしたら広島の第一学習社だけが「現場のニーズに沿う」として小説を載せることを決定し、一度は意見がついたものの、ガイド部分の記載を見直して検定に通ってしまった。
そして同社は、従来の現代文と同様の使い方ができると宣伝し、現場の文科省への反発も相当あったため、19万6493冊(シェア16・9%)と、採択数でトップをとった。

おさまらないのが、文科省の意を汲んで小説を載せなかった同業他社。文科省へ文句たらたら。教科書検定小委員会は「今後は小説を扱うことについて、より一層厳正な審査を行う」という文書を出すに至る。

どうです。ドタバタですね。

実社会に必要な話す・聞く、書く、読む能力を涵養したい、という意思は理解できます。学校教育は明治の富国強兵策以来、産業戦士を生み出すための装置ですから。
問題はそのために、文学的な文章を除外して、「報道や広報、会議や裁判などの記録,報告書,説明書,企画書,提案書などの実務的な文章,法令文,キャッチフレーズ,宣伝の文章」なぞを読ませようって短絡したことにあります。

まず、こういった文章は、読んでいて面白くない。論理的でもない。各立場によりかかって一方的な論理展開をしているものがほとんど。洗脳のための文章といってもいいでしょう。
そんなものを読んでも客観的に批判する能力なぞ養いようもない。あ、客観的に批判されると困るのか。

もう一つは、文学の力をなめるな、ってこと。生きる上で同じような悩みやその時代背景ならではの制約に苦しむ姿を描いているから、現在の悩める人々に考えるきっかけをくれたり、勇気づけたりしてくれる力があります。まあ、別に文学の力に期待していないのかもしれませんけど。
文学的な文章を除いて「主体的に学習に取り組むことができるよう」教科書会社に工夫しろと。文学的な文章を除いて、日本語として素晴らしい文章や、読んでいてより深く考えさせる文章なんてあるのかしら。

ジャンルを真っ二つにぶったぎって一方を除外しろと指定する「片手落ち」を強行する発想が傲慢です。これでは日本語に誇りなんか持ちようもない。かえって「国を愛せよ」という国家目標から遠ざかっていませんか。