かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

なぜ人を殺してはいけないか なつかしい加藤諦三さんの近影

bunshun.jp
加藤諦三さんの名前を懐かしく拝見しました。20代30代のころに、心の悩みにこたえる本として沢山読んで安らぎを得た記憶が蘇ってきました。

・人間というのは悩む生き物なんだと思っています。

これは柳沢きみお「大市民」の中で、作家山形氏に、「人生はうまくいかないのが当たり前なんだよ、うまくいく方がめずらしい」と言わせていますが、それに呼応する話だと思いました。

・自分が何に悩んでいるか、何を求めているか、というのがわからないケースはとても多いです。
・悩みの回答の敵は良識。相談者が気持ちよくなる回答はしないで、本当の問題を探しています。

―加藤先生は社会の変化をどんな風に見ていらっしゃいますか?
と聞かれ、

・社会の共通感覚が壊れかかっているからでしょう。

と加藤さんは答えています。
下着を売る女子高生を取り締まる条例作りで、警察官が女子高生に「なぜ悪いのか説明できない事を条例で禁止するのはおかしいのでは」という反対意見が出たそうです。
それに対して加藤さんは、

・なぜ悪いかなんてことを説明する必要はないんですよ。ダメなことは当たり前にダメなんです。ところが今、その当たり前のことが崩れて、説明しろという人が増えている。説明不能なことは、説明不要です。

・男子トイレがブルーで女子トイレがピンク、これには理由がありません。ただ、この共通感覚があるから社会が成り立っている。その共通感覚が崩壊しだしたのは、大変恐ろしいことです。「どうして人を殺してはいけないのか?」という質問も同じです。
まともな人間はそういう質問をしません

と答えています。そして、
―「なんで人を殺しちゃいけないのか」と聞かれたら、どのように答えますか。
ということへ答えて、

・そういう質問をする自分のことを考えてみなさい、で十分でしょう。質問すること自体がおかしくて、まともな人間はそういう質問をしません。説明不能なことについて、説明を求めること自体がすでにおかしいんですよ。

とおっしゃっています。この記事の白眉でしょう。

わたしは、「なぜ人を殺しちゃいけないのか」と聞かれた時の答えとして、「あなたが人を自由に殺していいのだったら、あなたも他の人の気分で自由に殺されることを認め納得しないといけませんね。」と答えを練り上げておりました。
でもそうではないのですね。この因果応報論では、女子高生が洗っていない下着を販売することに対する説得材料にならない。
ここでもメタ思考が必要なのですね。「YesかNoか」と迫ってくる相手の巧妙な罠にはまってはいけないということです。「そもそもそのような問いを立てることがおかしい。」と加藤さんに習って言い切ることにしましょう。

監理売春じゃなくて、自発的にする売春がなぜいけないのか、これまでうまく説得できる内容の説明が思いつきませんでした。
どなたか名前を忘れましたが女性作家の方が「将来の旦那さんを悲しませる」「自分がすり減る」などとおっしゃっていましたが、なかなか売春している本人が悪いことだと認識するまでの根拠に乏しいと思っていました。
私なりに「恋愛感情を金銭に換算してしまう感覚から一生離れられなくなるからいけないんだ」という説明を打ち立てて見たのですが、説得力はいま一つ。

もちろんそうしなければ生活できないと思っている人を追い詰めるための理由ではなく、近代社会の枠組みの中で倫理道徳として許されない“共通感覚”なのか、と問われるとすっきりした答えがでません。これはもう少し頭の中で寝かせておく必要のある課題だと思いました。

・「悩みは昨日の出来事ではない」とよく話しています。今の自分が悩んでいることは、ずっと前に種を蒔いたことの結果です。だから、今やっていることは何年後かに必ず結果として出る。今きちんとした生き方をすれば必ずその結果は返ってきます。

と力強い援軍のお言葉で引用も締めくくりたいと思います。

20代30代のころは、苦しい心を紛らわしてくれる読み物だけど現実の解決には余り役にたたないと思ってその後遠ざかっていましたが、久しぶりにお名前に触れて、生きづらい人生に一筋の灯を照らしてくれる方だと改めて思います。是非記事もお読みください。