かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

幸せになるために半歩踏み出す いじめやいやなやつへの対処方法を考える

近くを通るたびに「きゃっ」とか、こそこそこちらを伺いながら「ありえない」と陰口を叩いたり、「ばっかじゃないの」と馬鹿にした発言を浴びせたりする人。
会社で、「なんで俺の言うとおりにやらいんだよ」とキレたり、「つきあいわるいな」と言ったりする人。
こういう肉体への暴力ではないけれど、さらに質の悪い小さい悪意をぶつけて人のやる気をそいで思い通りにしてやろうという人いますね。
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両学長の言うとおり、「逃げる」「離れる」が正解なのですが、

会社も仕事も嫌じゃないけど、いやな上司や同僚がいる
学校もクラスの雰囲気も嫌いじゃないけど、一部嫌な奴がいる

こうなると、なんでこちらが犠牲を払って属している集団から離れなきゃいけないんだ、という理不尽な気持ちになります。
しかもねー、学校でも会社でも相談して親身になって一緒に解決に向けて行動してくれる人がいるかというと、「聞いておく」だけ、ガス抜きだけで何もしてくれないということもあるし、どうにかしようとしてくれる意思があったとしてもなかなか現場を抑えられるわけじゃないからどうにも手が出せないでいるということもあると思います。

そこでどうやったら自分の身を守れるか検討してみます。

【第一段階 変な人だと思われよう】
「それって趣味じゃないんで」「興味ないです」「帰ることにしてます」など、相手を否定しない程度に、変わった人だなあと思わせるのが一つの手です。
相手と自分の境界を区別せずに、なんで自分と同じにしないの?と思っている人は、無意識のうちに、人は自分と同じ価値観を持って同じような行動をすべきだ、と思っているので、自分の提案が否決されると「自分が否定された」と捉えて攻撃の牙をむきます。ですから相手の提案を否定しないで、変な奴なんだと思われるのが平和でいいと思います。なんか変な奴→なんか理解できない→なんとなく怖い→近寄るのやめよう、となってくれたらしめたもの。
この場合、その場しのぎの別の用事や言い訳でかわすのはやめましょう。嘘をつくとつじつまの合わないことが起きた時に「お前はウソをついた」という攻撃の口実を与えてしまいます。別の用事とか理屈で対応しようとすると、こういう人は、ああいえばこういう口のうまさでそれを天才的に乗り越えてきます。仕事や学業も天才だとよかったんですけれどもね、この手の人は、こういう意地悪い場面でしか天才になれないです。
あくまでも、変な奴で、こっちの考え方に染まらないやつだ、と思われるのが目的です。

【第二段階 はりねずみ】
自分の生活や生き方に確立したものがあって、それを出すだけという、やばい人から見て十分「変な人」であれば第一段階で目的を達成することが容易ですが、それほど姿勢が固まっていない人も多いですよね。口だってそうそううまく動いてくれないかもしれない。そうすると絶対足元を見られてしまい、攻め込まれ、巻き込まれることになると思います。
そうした場合は、はりねずみ戦略です。はりねずみとは、さわれば「いたっ」となりますよね。さわらなければおだやか。これを目指します。
具体的には、丁寧に、出来ればにこやかな口調で、お断りする、ということになります。
人間、提案を受ける断るというyes-noそのものよりも、感情の動き方に大きく反応します。だから「いきません!」みたいに拒絶の感情をぶつけてしまっては、相手からは「こちらの人格の否定をした」という受け止められ方をして、さらなる攻撃を受けてしまう危険がある。
できればユーモアがまざって、笑いのうちに望んだNoが言えて会話が終了すれば素晴らしいのですが、それはちょっと上級編すぎますか。
おだやかにNoを伝えることに徹しましょう。
ここでも言い訳や別の用事は持ち出さないようにしたいです。本当にそうだった場合は持ち出していいですが、そうでない場合は、あくまで「好きではない」「したくない」という姿勢だけを出しましょう。「やりたくない」をおだやかに言ってみてもいいですが、その言葉を捉えて折伏しようとするやつも出てきますから「やらないです」の方がいいですかね。「やりたくない」だと相手の提案の土俵に乗ってしまっていますから。土俵にすら上らない、これが大事。私が普段から言っている、メタ思考です。

No.となかなか言えない人もいます。言えないことに悩んでいる人も多いでしょう。
でもなぜ言えないで悩んでいるのか。考えたことがありますか、言えない人?
そもそも本当に悩んでいますか。悩んでいるというのは、その嫌だなと思う自己像をなんとか改善して嫌でないと自分で思える状態に変化させようとする手段を探している、ということをさします。
そこまで考えていますか?
いないでしょう。
悩んでいる、という言葉のほとんど意味していることは、いやだなあと思う状況を右手から左手へ、左手から右手へ交互に渡しているだけです。これを悩みのジャグリングといいます。非生産的なのでやめましょう。

話がそれました。なぜNo.と言えないのでしょうか。
それは、自分の周りにいるすべての人に、自分がいい人だと思ってもらいたいから、です。
かっこつけですね。そしてその”かっこつけ”が、あなた自身を追い詰め不幸へと追いやっている元凶なのです。原因は自分の中にあるのですね。
ですから、大事なのは“嫌われてもいいや”と自分の幸せを優先する、自分の安寧を第一に考えること。
自分に優しくしてください。
自分をいたわりましょう。
“かっこつけ”であることが自覚できれば、何をすべきかもはっきり分かったと思います。

次はそれをどうやって実行するか、困った人にわからせるか、嫌な奴につきつけて撃退するか、です。
これは、訓練が必要です。
家族や気の置けない友人、信頼できる相談できる人、愚痴をこぼせる知人など、やばい人間関係の輪の外に、そういう人がいたら、その人たちに話を聴いて貰ったり愚痴をこぼしたりすると、こうした方がいいんじゃないか、私はこうしたよ、なんて助言が貰える場合があります。助言が貰えなくても、言葉にしているうちに自分の考えが整理されてきて自分が具体的に何をしなければいけないのか、どう言うべきか伝えるべきか、うっすらとですが段々わかってきます。
そんな人がいない、という人は、自分の家に帰ってきたら、一人で声に出してしゃべってみましょう。ここは声に出すのがポイント。ワープロの文章を打っても構いません。大事なのは“言葉”という形を吐き出してみることです。エアー演説、独演会。
そうして、相手がこういってきたら、こう、ああいってきたら、こう、とシミュレーションをします。頭の中だけではだめですよ。必ず「ことば」にして一人二役で演じて見てください。柔道でいう乱取り、エアー演劇です。言葉で練習すれば、「こんどこう言ってやろう」という意識が体の奥底に貯金され、思考が進み、言葉が磨かれ、必要な場面ですっと出るようになります。一人になったとき怒りに任せてことばを吐き出すことも時には必要ですが、このシミュレーションはあくまで相手に伝える目的で練習するものですから、冷静ににこやかに実行できるように練習しましょう。ちなみに爆発する怒りで相手に伝えるという手段もあるのですが、これは冷静な頭脳と怒りの演技を両立させて立ち回らないと収拾が難しいので、かなり上級者向けと思ってください。普段からこれを出来る人は、既に自分を伝えるという手段をがっちり握っているとも言えますね。

後は、半歩踏み出す勇気です。一歩じゃありません、半歩です。
以前読んだ本で、父親からいつも暴力を受けていた子供が、何かの拍子に父親にげんこつが当たるんだか、攻撃をよけて投げ飛ばすんだか忘れましたが、「あれっおやじってこんな弱かったんだ」という場面を無意識のうちに作ってしまい、あら不思議、それ以来暴力がピタッとやんだと。
それくらい相手は卑怯な奴なんです。相手をみて「くみし易し」と思ってずかずか踏み込んでくるんですね。私も子供たちによく言っていますが、いじめやいじわるをするやつって「ぶつかり男」と同じだよって。道で人にぶつかりまくって歩いていくとんでもないやつが「ぶつかり男。」Youtubeにも上がっていました。あれは無意識に誰にでもぶつかっていません。反撃してこなさそうな女性を選んでいます。気の強そうな女性、男連れ、男には絶対にぶつかっていません。「そんなこと考えていないよ」といいわけするでしょうが、嘘です。自分が弱そうだと思う相手を選んでいると意識したら、自分が完全に卑怯なやつだと自覚できちゃうじゃないですか。それがいやだから選別していることを無意識に隠し込んでいるだけです。

ということで、相手は卑怯な奴。同情はいりませんし、卑怯な奴に「いい人だ」って思われるってどういうことか考えてみてください。そいつのはけ口、自己肯定感を高めるために便利に使える道具だ、と思われているということですよ。
この手の人は自分が否定されたと思うや否や逆上しますから、そこはシミュレーションして相手を否定しないで、こっちがバカですみません、くらいのつもりで臨むといいです。
なかには、相手をおだてたり、いじめたりと、こちらの気分を上下させてコントロール下においてやろう、と考えるタチの悪いやつもいます。こういう人には特に気をつけながらも、丁寧にきっぱり拒絶をできるように練習しましょう。
はりねずみになって、うかつにさわると痛い奴だ、と思われましょう。それが明日のあなたの幸せ、心の平和を勝ち取る道です。戦わなければ自分の自由は守れないのです。共に頑張りましょう。

一つ付け加えます。何か断った翌日のこと。
こっちは相手に気後れしています。しかし気後れを相手に見せてしまうとそこにつけこまれます。後ろめたく思っているんだろう、と思われてしまうからです。
あんたが聞くからyes-noを言ったまでで、返事の内容であんたがどう思おうか自由だけどそれをこちらにぶつける権利はないね、ということです。
ですから翌日は、平然を装うこと。頑張って平静に出会ったら挨拶しましょう。タイミングが合わなかったらわざわざ挨拶しなくていいです。
挨拶は「自分の襟を開く」という意味らしいですが、ここではきっぱりと自分と相手との間の線を引いていることを相手に伝え、かつ、相手からこちら側への侵入を防ぐ、ということを意味しています。
これは「鈴木先生」という漫画で教わりました。公園を空手の練習で走り込む女子中学生。変質者予備軍?と思われる公園にいる男に「おはようございます」とさっと頭を下げて挨拶し、去る。こういう手合いは怖がると図に乗るし、最初から変質者扱いすると逆上します。攻めてくる前の止め手。見事ですね。

最初の半歩を踏み出す勇気を掘り起こしてください。
自分の幸せは自分で掴むのです。
イヤなものはイヤ、理屈はありません。
そして半歩踏み出したあなたは、その小さい足跡が自信となって、次の一歩、その次の一歩を、より軽やかに進みだせるようになるのです。