かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

リタイア後は時間を持て余すこともある

rosemaryland.com
ローズマリーランドさんの「それって何の役に立つの?は禁句。リタイア後の目標は自己満足でいい。」を読んで感じ入っておりました。
自分が楽しく過ごせる活動に注力すればいい。本当そうですね。

自分を振り返ってみるとどうか。
全然退屈していないのは事実ですが、気持ちや体がついていかない日はだらーっと過ごしてしまい、しかもだらーっとネットを見て終わっている時は、罪悪感に襲われます。

この罪悪感は何だろう?

老い先短い時間を無駄にしてしまったという罪悪感、のようです。
老い先短いといったって、健康寿命まではあとン年。というか、それがあとン年だろうが、千年だろうが“無駄にした”感から逃れることはできないんじゃなかろうか。短いからより貴重に感じるというわけでもない。若い頃だって“あー無駄な時間をすごした”って思ったし。
大学の時「サークルでもバイトでも、何かやろう。そうしないとヒマが殺しに来ます」とうまいこと言った同級生がいました。
今の大学は授業の出席やレポートもしっかりしないとテストだけ何とかすればいい、というわけではないでしょうから、時代が違いますが、リタイア―となったら逆にこのセリフがよく当てはまるようになってしまった。

日々活動していること、やらなければならない家事と、楽しみであるはずの趣味。歌の練習。やりたくない時もあるけど。

歌の練習は、合唱団の演奏会やオーディションに向けて、個人ではここまで仕上げておかなければならない、というチェックポイントがありますから、いつでも楽しい、楽しい、と思っているわけではなく、苦痛に感じることもあります。一旦練習始めるとそうでもないんですけれどね。

だとすれば、目標に追い立てられる、ちょっと苦痛な部分を含んだものは、乗り越えた時の達成感があるから、やっぱりのっぺりした日常にならないための布石なのですね。
〇月〇日にはこれをやらなければならない、又は〇日にはこれがある。そのためには〇日までにこれをやっておかないと。を自分で置いておくのが日々を彩りよく過ごすための工夫なのでした。団体に所属しているのも怠惰に流れないための工夫だと思える。

つかずはなれず、毎日ではなくても、ぽつぽつ“しゃーないやるか”でも“そろそろやろうかな”でもいいので、続けられる事、振り返ってみたら“ああ、意外に遠くまでやってこれたな”と振り返って思えることが、やっぱり欲しい。

私が最近細々続いていること。

・ブログの文章書き。面倒くさいとか、ああーうまく表現できない、と思うこともありますが、もやもや思うことをどうしても書いて明らかにしてみたい、という欲望があるのでやっぱり書いてしまいます。書き癖がついてきたので、言いたいことがあるのに文章にまとめるエネルギーが湧いてこないといらいらする。そんな葛藤も味わいます。

・歌の練習。現在は独唱と3月末に迫る合唱団オーディションのための練習。さぼり気味ですが、オーディションは完全暗譜で臨まないといけないので、そろそろ。独唱曲は1日1回練習を目標に。そこへオーディション曲も暗譜が出来ている所とできていない所を確認しなければいけません。また別の合唱団の会計もやっていて、そちらでも会費の入金チェックとか督促、楽譜の配布と集金など、ちょぼちょぼ処理がある。
こういう風に、どこかに所属するというのも”やらねばならない””他の人の迷惑になってはいけない”という謎の使命感が出てくるので自分を動かす燃料になっています。

・インデックスファンドについて、知りたいと思ったことがあれば調べます。せっかくだから調べたことは記事にしてまとめる。

・断捨離。遅々として進まず、のようですが、逆に考えると遅々として少しずつ継続して進んでいますね。本当にすこーしずつやっています。メルカリも時々売れた分を発送したり、写真を取って出品したり。細々続いていますから、これはこれでいいのだ。残置物も徐々に片付いてきましたしね。続けていることが何より。現に物は減りつつある。目に見えてってほどじゃないけど。

・財産の管理と整理。これは投資界隈の人はやっていますよね。記事にすることで時々時価評価額を計算してありかを確認することになっています。配偶者や子供らに“あれどうなってんの”と死んだときに言われないように、整理を続けています。

私としては、これでお腹いっぱい。後は別腹にお菓子食って本読んでネット見てだらだらする。