かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

断捨離本を読んで、今年の目標追加

元旦に記事にしたことしの目標、といっても昨年暮れからゆるやかに実行中です。
「やらなくちゃ、でも手を付けるの面倒」で心の中にやらなくちゃのリストがどん、どん、と積み上がっていっていらいらする繰り返しだったから。
今日もメルカリで到着した品物、早速開封して中身を確認し、受取評価をしちゃいました。頭のメモリも解放されるかな。
手を付けるのが面倒だというのは、やり慣れていないだけで、実は始めてみたらそれほどでもなかった、というのもありますが、これが掃除だと、床に物が置いてある、まずどけるところから、面倒だ―、ってこれは本当に面倒ですよね。
だったら床に物を置いておかないようにすればいいじゃない、ってやつが断捨離本に書いてあるわけ。

昨日も寝る前にさくっと、
やましたひでこ監修/川畑のぶこ著「モノを捨てればうまくいく 断捨離のすすめ」を読んだのですが、私の心に刺さった言葉の数々をここでご紹介します。

断捨離を経験したことで、逆に行動を起こすことから、意識を大きく変えられることを実を持って知りました。(P28)
(→可笑しいから笑うのではない、笑うから可笑しいのだ。を思い出しますね。)

片付けとは「かたをつける」こと、言い換えれば、使わないモノと決着をつけ始末をするということです。(P35)

モノには私たちの思いが宿り、それを目にするたびにその思いが沸き上がってきます。(P41)ほこりまみれのモノが散乱しているような部屋は、配慮のない乱暴な言葉や行動を自分に投げかけているのと同じくらい、無意識のレベルで影響を及ぼします。(P41)

使わなくても十分間に合っている壊れた椅子を目にするたびに「この椅子、いつかな直さなくちゃ」と何か月も、…思っているような状態は、エネルギー漏れを起こしている。(P43)

「まだ使えるのに捨てるなんてもったいない」…使わないことに対して罪の意識があるために、「少なくとも捨てない」ことで罪を免れようとしている(P50)

「捨てる」行為には…「選択」「決断」が含まれます。(P66)

(正月の親族の集まりに従姉妹たちが欲しがりそうなものを持ち込んだが三分の二は残ってしまって)自分が要らないものは60%以上の確率で相手も要らない(P89)

「もったいないから今日から使おうか」とも思いましたが、それでは「モノが軸」です。取っておいた自分や過去を正当化するためだけの免罪符として、大切な今や未来に時間とエネルギーを使うことこそ、もったいないことです(P105)
「あのときは必要だったが、もう役目は果たしてくれた」と思いなおし、「使いきれずにごめんね。ありがとうね」と言って手放しました。(P105)

「リデュース・リユース・リサイクル」に加えて「リフューズ(断る)」がこの時代に求められるものではないでしょうか。(P121)

「モノと自分」との関係は、「他人と自分」との関係に似ています。…「一度手に入れたものを捨ててはいけない」という思い込みは、「人から頼まれたことは何でもやらなければならない」「自分には難しいことでも、断るのは失礼なこと」「嫌な人もずっとつき合わなければならない」という思い込みとつながっている(P133)

今、自分にとって大切なことは何?
自分で勝手につくったしきたりは、自分を幸せにしている?
それとも自分を支配して幸せから遠ざけてしまっている?(P137)

子供の学校の制服を追加注文しにいって、「アプリ登録すると〇〇ポイントつきますよ」と言われて思わずインストールしちゃった人間です。
ブログの記事のネタも、歩いている時やスーパーに買い物に行く時や帰る時に自転車を漕いでいる途中で思いつくことが多いのですが、帰ってくると忘れていて、「なんだっけ」と地団太踏んで勿体ながる人間です。
親の遺産=残置物を捨てないで活用するだけじゃなくて、思いついたアイデアも忘れちゃったら勿体ないと思うんかい、と自分のケチさ加減にびっくり。森博嗣さんがエッセイで「思いついたことはメモしません。そのまま忘れてしまったら、それはその程度のもだったのですから」とおっしゃっていましたが、そこまで割り切れない位未練がましいケチな性分なのです。
あー心に突き刺さる数々のことばだったわ。

今年の目標追加 食べ物、特にお菓子を余分に買わない。お菓子売り場を見ないようにする。