かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

断捨離本を読んでと、フリマ向き不向き

前回記事の続きです。
断捨離の本を時々読みたくなるんですよね。
図書館で目に付いたのでつい2冊も借りてきて読んでしまった。
親の残置物だけでなく、姉の不用品を引き受けたり自分が買ったものでも要らなかったものが出たりと、その都度引き受けているから本当は知っているはずなのに、“知らないうちに”たまっていくもの。

私にとってドキッとするようなことが書いてある。
高価な食器は思い切って捨てたり人にあげたりできるのに、普段使いの企業名の入ったコップや食器は捨てられない、なぜでしょうか、という疑問に、

それは無意識のうちに、自分はこんな高級品は相応しくない、安物食器がお似合いだ、と自分を貶めているからです

というのがあって。

私の場合、むかーし洋食器に凝っていたことがあり、アリスのお茶会みたいな雰囲気の大きなティーポットやハンドペイントの茶碗を取りそろえていたことがあった。ほとんどアウトレットの並行輸入品ですけどね。
集めていた時期は、多分土日に誰にもあわず仕事の疲れを一人で傷舐めしているような時期だったのだと思います。合唱はずっと続けていたけど、合宿や練習がない土日。淋しさを埋め合わせるようにカタログを見て、自転車で買いに走る日々だった。
その時も交通費ケチって、筋肉使うのは健康のため、太陽浴びるし、咳コンコンの電車に乗らないで済む、と色々理由をつけていましたっけ。
これは今も変わらない。
だから自分の生活の行き場のない漠然とした不満を買い物にぶつけていた。

それらのものがどうなったかというと、使ってて割れて捨てたもの、合宿の景品としてだしたもの、残ったものがプラスチックコンテナ1箱分にちんまり残って、納戸にしまってあります。

断捨離本によれば、モノは、流れ。流れて入って来て、役目が終わったら自分の所から出ていく。だけど「もったいない」「まだ使える」「いつか使う」「〇〇になったらないと困る」と理由をつけて出ていかない。出ていくところが詰まっている。まずはこのつかえをとりましょう。
私もここが出来ていない。

所有するモノを吟味する。入口で本当に必要な物しか入ってこないようにする。これはわりとできていると思います。
バカバカ買い込むのは食料ばかりだし、靴は捨ててから新しいの買うし。
親や姉から引き継いだものは思い入れがないので、平気で捨てたり「ご自由におもちください」棚に出せますが、「これ売れるんじゃないの」と思うものはもったいないセンサーが発動して「メルカリにだそう」になっています。

断捨離本でも、フリマで処分するのはエネルギーがいると言っていますが本当にそう。
同規格が新品でアマゾンや楽天でいくらで売られているのか見て、類似品がメルカリでいくらで売られているのか見て、寸法計って送料見積もって、らくらくメルカリ便の場合売上から10%手数料と送料が引かれるので、引いた後赤字になってメルカリに怒られないように値付けをして、商品の状態を説明に記入して出品。コメント欄に質問が来たら答えて、場合によっては写真を追加して、売れたら水濡れしないようにP袋に入れたり、プチプチクッションに包んだり、緩衝材をはさんだりして発送。購入者も色々な人がいますから無事受け取り連絡がくるまでドキドキしたり。
もったいないから、誰か使ってくれる人に貰ってほしい、というのも一種の欺瞞かもしれませんね。もっともメルカリではなけなしのお金を払う以上、買う人はその値段でほしいから買う。欲しい人がいなければ売れない。そう考えると罪悪感を持つ必要はないかもしれません。
ざっと手順を書いただけですが、やったことがない人にとっては、とても面倒であろうと思います。人と人のやりとりで疲れる面も多々ある。

断捨離本でも、知り合いに押し付けるのではなく本当に欲しい人にあげたいという気持ちはわかるが自分が手放したいものは他の人だってほとんど欲しがらないですよ、と言っています。本当にその通り。
フリマは、値付けを調べたり、多少なりともお金になるといううれしさ、人と人の絡みに(場合によっては辛味に)耐えうる、ごくまれにトラブルでいやな気持になりながら、そこを乗り越える面白さを感じる精神力がないと、なかなか続けられないなあと思う日々です。

ということで、断捨離のモノの流れで、私は出口が滞っております、はい。