かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

ライフワークの光と影

前々回の記事で「引退するより仕事を続けたい」身近な例を2つ挙げました。
ずっと働き続けたい人もいる - かけこみリタイヤ―のダイヤリー
私は59歳10か月で定年前かけこみリタイアして専業主ふになったため、実生活ではそこまで自由時間が多いわけではありませんが、FIREでも定年退職でも、今まで仕事で相当程度埋まっていた生活時間がぽっかり空くけど、それを何で埋めるの、という選択を迫られる。

自分が続けたい、やりたい仕事で埋めるというのはとても良い選択だと思います。
仕事はもういいや、と思っている私がなぜそんなことを言うのか。
仕事をすると、相手から感謝される、話題を無理に作らなくても人と接触してお話をする、それでお金も貰えるってなんてすばらしい。
3つの要素の順番がポイントです。お金は最後に置いた。

やっぱりね、自分がやったことで人が喜んでくれるって一番の生きがいですよ。それからなんでもかんでも人とお話するって大事。
これが趣味のサークルなんかだと、自分から話題を考えて自分から話を振る必要もあるし、お金をやりとりしない関係だと無視したりスルーされたってしょうがない。話に付き合う義理はないんだから仕事よりよっぽどシビアな場面がある。
仕事ならビジネスライクに口をきくじゃないですか、これって逆に頭を使わないし孤独感を癒していることになると思うんですよ。そして結果としてお金がついてくる。最高ですね。

では、もう稼ぐ必要はないし、仕事はもうこりごり、趣味や好きなことをして生きる、と決めた場合、何をするのか。
百名山に登るとか、筋トレをして××を達成する、フルマラソンを走れるようになるとか、資格試験に挑戦するとか、数字で掴みやすい目標を立てて動くというやり方がある。
ネットを見たり図書館で本を借りて読んだり、毎日気の向くままにダラダラ過ごすやり方もある。
市民農園を借りて野菜を育てたり、大学の講座に通ったりという、他の生き物やスケジュールを利用して自分のペースを作るやり方もある。

私にとって、自分の成長が感じられることを続けるのが大事。
疲れてしまってネットばかりだらだら見て過ごす一日もあるけど、本当にそれだけだと自分にいらいらしてくる。
せっかく生きているのだから自己成長を感じていたい。

しかし自己成長を感じるような趣味や勉強にはもれなく厳しい時期というのが付いてきます。
私のやっている合唱と独唱についてお話します。

まず独唱。師匠について大体月に一回レッスンに通い、自宅で練習するサイクル。年に2回師匠が主催する発表会に出演する。
たまに師匠も出演するオペラハイライトなどの演奏会にいくと、プロと自分とのあまりにも隔たった、自分がへただった現実に打ちのめされます。これプロとアマの自分を同じ直線上で考えるというおこがましい発想があるからそうなるんだけど、せっかくのライフワークなんだからそう考えないと意味がない。
発表会では、同じように習っているアマチュアの方々でも自分よりはるかにうまい人の歌唱を聞いて愕然としたり、もっと愕然とするのは、自分よりへただなあと思っていた人が自分を追い抜いてしまった、ということに気づかされた時ですね。
素材とか才能とか色々頭をよぎるけど、結局自分が持っているもので勝負を続けていくしかないんだ、という悲壮な現実に打ちのめされる。
次に合唱。これも合唱団に貢献していると思えるうちはいいんだけど、なんだか自分だけ遅れて、もしかして足を引っ張っているんじゃなかろうか、という気持ちに囚われる時がある。もしかして迷惑なら引退か?と頭をよぎる。
出演オーディションのある団体にも所属しているから、必要人数が少ないときに落とされたり(前回)受かったり(今回)と気分はジェットコースター。
特に必死に練習してオーディションに臨んで落とされるととても落ち込みます。
喜びは悲しみと裏表で、幸せと不幸せも裏表で、起こったことが現実で受け入れなくちゃいけない。
ひりひりするような痛みからは逃れたいけど、喜びを得るためには必死でくらいついてよいことも悪いことも結果としてひきうけなくちゃいけない。

それでこそ退屈しない人生、生きているんだと感じられる。
そういうのがライフワークかなと思うし、それを見つけられた自分は幸せなのだと思う。自分のふがいなさにがっかりすることは多いけど、歌の練習を始めると歌うことの喜びが湧き上がってくる。自分を嫌いになることは多々あるけど歌うこと自体がイヤになることはない。

でもやっぱり、オーディションは落ちたくないし、発表会ではみんなから「よかったよ」ではなくて「素晴らしかった」と言ってもらいたいなぁ。
まだ一度も経験ないですけど。