かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

話が噛み合ってないFIREの定義

https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p5672
別にみなくていいですが、議論が噛み合ってない。
司会もゲストもFIREしたお二人を除いては、自分自身を看板に上がってきた人だからでしょうね。友達や先輩その他周りの人間に絡んでいかないと仕事貰えないから、引きこもっていられないタイプの人間でないとここまで上がってこられなかったでしょう。
そういう人は理不尽と戦うにしても、自分対外部という意識なんじゃないかな。
そして仕事がなければ、仕事がない時、あるときはある時、で年取って仕事の依頼が減ってきた自然に引退。失礼ながら年金だって少ないでしょうし、だからFIREなんて思いもよらないし、就職と引退の区別がないシームレス。
一方FIREしたいって言っている人は勤め人でしょう。敵は自分と外部だけじゃなくて自分と内部、自分と上司みたいに境界線がある場所でややこしい戦いになる。自分一人じゃないから攻勢に出て後ろから撃たれることまで考えないといけない。
そしてその人自身を売りにしてきたわけじゃなくて、組織の中に入って与えられた役割を演じている。そこに稼ぎだけじゃなくて自分の存在意義や自己実現までくっつけちゃうから、余計離れるのが怖くなる。
役割を剥ぎ取られたら何者でもなかった、なんて恐怖。そして引きちぎるように辞めたとしてもやることがない、自分で人間関係を求めて動くことがない、鬱々としてくる、という流れがセットで見えてきます。
だけど役割を与えられていることは、反面役割に嵌め込まれている訳で、その息苦しさからは逃れたい。それがFIREしたい、というため息となって口から漏れてくるのだ。
どんなに孤独が好きな人であっても、人は他人とのつながりを求めてしまう社会的動物です。そして人から必要とされているという信号を受け取りたい。もちろん一人になりたい欲もあってその時間的バランスは人それぞれ。
現役時代に、仕事は考えなくて良い汗を流す労働と、頭を使う労働を行ったり来たりするのが理想だなーと思っていたことと似ている。要はバランス。松花堂弁当か幕の内弁当。
こう考えてくると節約して貯金して投資して金融資産を増やす、って自分一人で決心すればできるけど、FIREして暇になって他人と絡みたいと思った時のために、趣味でもボランティアでも自分から新しい人の輪に入っていく練習をしておくのも必要で、それは私のようなコミュ障には結構難しいと思える二本目の柱なのでした。