かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

FIREー私の考え

新卒でずっと同じ組織に勤め続け、定年間近でいきなり途中下車した60代前期高齢者であるわたくしから。
20代30代の方々にもFIREという考えが広まっているとか。
一つは、実際にある程度資産を形成して組織を飛び出し、自分のペースで仕事をする道を見つけたり、家計を下げる環境を作ってから非営利組織で好きなことをやったりするアメリカ人が発火点だと思うのですが、日本では一生働かなくてもいい資産を作って、不労所得で暮らすみたいな、微妙に違う隠遁生活として理解されているんじゃないでしょうか。また、それを株や仮想通貨で一発当てるとか、よく見てみると太い実家の資金だったりとかで、あまり再現性のなさそうな話も結構混じっていたりするのは要注意ですね。
とすると、実例としてのFIREはネットやマスコミで見聞きしていて、あこがれは芽生えるけど、それに向けて資産形成スタート、であって、実際に早期FIREできているわけではなさそうですね。
二つ目。実例を見てあこがれる状態であるとすると、なぜあこがれるのかです。
これ山崎元さんがトウシルの【論点1】でも述懐していますが、本当に仕事が面白くないのだと思います。
media.rakuten-sec.net
ここから先は私自身の勤め人時代の経験からの話ゆえ、ピントがはずれていたらごめんなさい。
どんな仕事でも、お客さんが喜んでくれるというフィードバックがないとやっていられないのですが、組織が大きくなってくると、大きな仕事の流れのほんの一部を担当することになります。しかも自分で工夫して製品やサービスをよくするとか手間を減らして正確性をあげるとか、そういった仕事に対する働きかけすら認めない、工夫する余裕すらないという圧殺された環境におかれ、自分が機械化していく。自分なりの仕事の意義が見失われていってしまう。
巨額損失によりリストラの嵐の吹き荒れる会社に仕事をしにいったことがあるのですが、本当に、ほんとーに、雰囲気が悪かった。誰かのマイナスを無理やり探してご注進、上司からは下手に嫌われてリストラ候補に上げられないようにおべっかを使ったり、明日はわたしかもという恐怖心が漂っていました。こちらに対しても、余計なことは言わないでよ、と事なかれ主義でつっぱしろうとしていました。
私が20代30代の頃には鈍感だっただけかもしれませんが、仕事上でミスして、上司に怒られ、謝りにいったり事態収拾を図ったりすることになったときに、上司や同僚が助けてくれたり慰めてくれたりするじゃないですか。この時身の置き場もない心地がしているんですが、上司同僚が助けてくれるということ、それから、自分にとってこれが成長への糧であると信じられること、この二つがなかったら、いくらその時の私が鈍感でも続けていられない。
それよりずっと後に、まずい事態が起きたり、追い詰められたり、部下がまずい事態を引き起こしたりということが起こっても、その昔自分のミスで駆けずり回ったことを思い出して「今回は大したことない」とか「あの時ああだったから、これもこうおさまるかな」と考えて自分を慰めるための支えの杖、事態収拾への知恵を絞る糧になっていたと思います。
それがどうしたわけか、50代後半にどうにも耐えられなくなった。鈍感力がなくなったという自分自身の問題もありますが、組織の雰囲気が変わってしまい、真面目に言われたとおりのことをやろうとするといくら時間があっても足りない、創意工夫を考える余裕もない、結果仕事自体に意義を見出せなくなって、自分の成長も信じられなくなってしまった。
そんな心境の変化があったわけですが、それってもしかして一組織の問題じゃなくて、世の中の職場の雰囲気がそんな風に変わってしまったのか、と想像してみたわけです。
そりゃお金があったら辞めますわね。
そして、その時私は自分の資産残高を把握して、今辞めるのと、定年で辞めるのと、金銭的得失をざっと考えて辞めてしまったわけです。
定年1年と5か月前に自己都合退職。1年5か月分の手取り給与が一千万円、定年と自己都合の差額が五百万円、ほか厚生年金の年額でいくらか減額していると思いますが、それらすべてを合計しても惜しいとは思いませんでした。
というわけで、定年間際途中下車ですから、20代30代の方には参考にならないのが申し訳ないところ。
山崎さんは自己投資しましょう、と言っていますが、総論としてはそうだけど、実際に投資するとなると自分のキャリア形成を自分で考えるというオリジナルな発想が必要になってきます。そっくりまねできるような再現性のある職業経歴の道なんてものはない。せいぜい自分がいる職場や取引先での働き方を見て、という近接領域からさぐっていくか、資格をとってそれをパスポートにぱっと移るか、なんて発想になると思います。ブロガーで稼ぐとかyoutuberで稼ぐとか、やってみてもいいですけど実現可能性は低いですからね。
私も排他的職業領域を持つ国家資格を取得しましたし、英語の勉強も社会人になってから少ない隙間時間を使ってやりました。いずれも、それなりの水準に達するとか合格するとかまで到達しないと武器にならないのですが、働く気のない現在では単なるお守り、かな。
と思いましたが、そうでもない。実は結構今でもその能力は実際に役に立っていますね。
もうひとつは、からだのこと。
肉体は疲れてくればだるくなったり眠くなったりと気づきやすいのですが、精神は徐々に崩壊していくため気づきにくいです。顕在意識は、潜在意識が「危ないぞ」と言っているのに、見ないふりをしていることもありますから。
わたしみたいに、早朝に目覚めてどきどきして眠れない、電車の車内広告が「金を使え」と言っている、みたいになったら黄色信号ですから。

自分の心を守り、同時にお金は着々と計画的に備える、という防御態勢をとりつつ、自己投資。何だか忙しくて大変ですが、つみたてNISAみたいに、日常生活に組み込んで無理なく行動していってください。
私が言っても説得力に欠けますが、こころがやばい、と思ったら、お金のことはさておいて現場から“逃げ”ましょう。