かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

リタイア後の交友

元職場の人間とは、退職後一切付き合いがありません。
いや、一度だけ退職時の一つ前の時の支店の係長が、その時の課の人たちを集めて送別会をやってくれました。それはそれで嬉しかったですけど。
50代後半になって末端中間管理職になって、もうこれで職歴としてはあがりだから好きなようにやろう、と思って、飲み会とかどうでもいい集まりは、最初はおそるおそる、そのうち大胆に全部出なくなりました。
だから辞める時も、同期とも付き合いは薄ーくなっていたし、課員達も職位にいる私と付き合ってくれていただけだから、まったく交流無くなることでの自由しか考えていませんでした。
ただでさえ人との付き合いが薄くて、高校部活の同期からは「あなたって、一人でいてぜんぜん平気そうね。一人遊びが似合うって感じするわぁ」と30代の頃言われている位。
けれど独身の時は、週末に誰とも一言も口をきかないまま過ぎていったこともあり、その時は淋しさと自由のトレードオフに思いを巡らせたりなんかして。
今は家族もいるし、幸い趣味の合唱で定期的に出かけていく場所があります。
それほど深い付き合いではないけれど、一緒に作り上げていく共通体験で時間を過ごすので、単純な人との接触以上のものが得られている。ありがたいことです。
勿論、厳しくダメだしされたり、歌がうまく歌えなくて、みんなに迷惑かけているんじゃないかと悩んだ時期もありました。チーム競技ですから。他の人と技術的な開きが大きすぎる場所では、目標へ向かっていく足手まといになるだろうから、それは息苦しくなって去ることになる。そんな危ういバランスの上に立っていた時期もありました。
今は歌の師匠に出会えたことで、やるべきことが明確になり、進む方向がはっきりしてきました。死ぬまで持続できるようなメソッドなので、いくつになっても努力し続けられる。
60歳過ぎても65歳過ぎても仕事をしたい人が結構いる、というのは、お金のことももちろんあるのだろうけれど、共通目標の元に協同して作業するから、ゆるやかな人との交流があり、その中で気があう人とおしゃべりしたりできるので、先日記事にしたリタイア人の心のビタミンを補給することが自然とできる。そんな欲求を満たしたいがために、という意味も含まれているように思えます。
otosak.hatenablog.com