かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

法人・団体を“さん”づけする違和感

会社勤めで他社の方とお話しているときに、相手の会社自体を「〇〇社さん」という方いますよね。それとも「貴社」「御社」が多いかな。
これが任意団体や趣味の団体にもひろがってきて、私の生息する合唱界隈でも「〇〇団さん」なんて呼ばわる方、twitterなどの文章で書く方が沢山います。

私はこういう言い方嫌いです。
団体は任意団体も含めて“法人”、約束事として人とみなしているだけ。生身の人間のような実体があるわけではない。
仕事で頻繁に使っているのなら、使わない場合に相手に敬意を表していないかのような印象を与えるのはマイナスですから、私もそのような習慣がある世界では使います。

できれば使いたくない。
所詮人間が作った仮想の仕組み自体を敬うという発想は、私には、ない。

偶像崇拝になりかねないから。
会社だと組織の代表権を持った者や、オーナーが議決権の過半数を握って実権を握っている場合、その人自身が組織を通じて自分の意思を表示しているだけなのに、あたかも会社自体が意思を持って動いているように錯覚するようになるから。
個人の権力行使が透けて見えていないと、強大な”しくみ”自体が巨人のようにあなたを押しつぶしにくるような錯覚を感じてしまう。
そんな意識に陥りたくない。しくみを動かしている個人が裏にいるんだ、と常に意識することで、「たかだか会社じゃないか」「誰かが勝手に言っているだけだよね」といって心が軽くなったり、突破口を見いだせたりする。

合唱団も同じ。単なる個人の集合体で、素晴らしい演奏や活動をしているのは、総体としてそこに集まっている個々人の力の結集であって、存続している団体それ自体にあるわけじゃない。だから人が常に入れ替わると有機的に内容は移り変わっていく。キーとなる人がひっぱってみんなをその気にさせたり、趣旨に賛同する人が集結したりして、しくみがうまく回っていくから、継続して素晴らしい活動結果を残せている、それが団体の個性だ、と言う側面はある。
でも、旗を振って計画を実行していく人、それについていく人、足りない所を補う人、そういった人たちが合わさってこその活動結果だから、その中の一人一人を感じていたいし、うまくいっている場合だけじゃなくて、うまくいかなかった場合も中の人たちを見続けていたい。そこは団体競技として個々人の力の集合が演奏に直接出てくる合唱と言う形態に私が強く意識させられている面はある。

これは事業会社を「〇〇社さん」と呼びたくない理由と少し違う。会社は突き放しておかないと自分が追い詰められて精神を病んだり、目が曇って金銭的に後悔する可能性があるという主にマイナス面を見ている。

合唱団の出入りは個人の意思が比較的自由に働くし、鑑賞している立場ならどんな勝手な感想を抱こうとも自分が脅かされる可能性はないので、自分が合唱団と言う客体をどう認識したいのか、という積極的な立場からの価値づけ行動であると思いました。