かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

日本語は敬語を廃止した方がよいかも

前田安正「文章は簡単に直せる!!」を読んでいたら、P238で8世紀の文献に尊敬語と謙譲語が登場しているというのが通説、10世紀には丁寧語が出現したと言われているとありました。
身分制度の序列を表現する敬語が、身分制度がなくなったはずの現代社会でも生き残っている。8世紀から積み上がった観念が上下関係におけるセクハラやパワハラの遠因になっているのではないか、と前田さんはおっしゃっています。

そこで思い出したのが、橘玲さんのブログ。
どの記事だったか探しだせませんでしたが、道路工事で車を誘導する人は、英語なら相手が誰であろうと「go」「stop」「wait」なのに、日本語だと、
「すいませーん、少々お待ちください」
「お待たせしました、こちらへどうぞ」
ということで、無条件に車に乗った人=上、誘導する人=下、という上下関係が惹起する言語表現である。

こういうところが、店員=下、客=上、というカンチガイを引き起こす原因であり人の心を痛めつけている現状に深く憂慮するものです。

そこで、ややこしい尊敬語と謙譲語は廃止し、上下関係を想起させない丁寧語のみ残して、何なら丁寧語も上下関係を想起させない機能がないのであれば廃止しちゃってもいいだろ、という結論を抱くに至ったのです。

今までずっと、敬語という精妙な表現方法を持っている日本語は素晴らしいなと思っていました。
しかし、人間関係における快不快や軋轢が敬語の使い方に起因していることで多くの人が悩んでいるし、先ほど例に挙げたとおり、言葉遣いが上下関係を無意識のうちに強制してくるという敬語の短所が強く感じられる時代になってきたことから、日本に来て日本語の習得に苦労している外国人も多くなってきたことだし、このさい日本語の国際化のためにも、国語審議会主導で文法規則の簡略化を取り入れて日本語を変えていく時期がやってきたと思います。

大分前、国語審議会が国際化のために、助詞の使い方をもっと簡明にする案を出した時、豊かな表現がなくなっちゃうじゃないか、と批判的に見ていましたが、明治時代に文章表記の統一化に政府が動き、言文一致運動などがすすみ、第二次世界大戦後に漢字の簡略化や表記を口語に近づけることなど、主として文字表示面での改革は成し遂げられてきたのだから、今また方向転換ができないわけではない。

英語ではヴィクトリア朝時代に至るまで何回か文字表記の整理と音に近づける努力がなされてきた外国の実例もあります。
対照的にフランス語はその辺まったく野放しだったので、音とスペルが一致しない箇所が多くて学習していると嫌になってしまいます。

新しい言葉遣いが奇異に感じられるから反対だ、というのは、機械が仕事を奪うから反対だ、というのと同じでしょう。
言葉は生き物だから遺伝子組み換えでガラッと変えるのはいやだ、自然淘汰を待とうよ、という考えもわからんではないですが、日本人が作り上げてきたシステムである言葉が、日本人を苦しめているのなら、それを作り変えることに何の躊躇もいらないでしょう。
勇気をもって一度変えればそのうち慣れて気にならなくなると思います。