かけこみリタイヤ―のダイヤリー

陰キャで隠居!58歳10か月でアーリー?リタイヤしました。

淡交

一昨日は合唱団の練習でした。
体育館みたいな床張りの椅子が全くない状態で、立って歌います。荷物は足元か壁際に。
休憩時間に隣で歌っていたOさんと少ししゃべる。
私は前々回の出演オーディションに落ちたけど、Oさんは前回の出演オーディションに落ちた。その話をOさんは配偶者にしたら、「まじめにやっていないからだ」と理路整然と指摘されてしまったそうです。

私は、出演オーディションに落ちたことって、落ち込む以上にあまり家族に言いたくない気持ちがあります。慰めて貰うのもなんとなくいやだし、配偶者には関係ない話を持ち出す時点で改めて傷に塩を塗る追体験じみていると思うから。また経過を説明しながら言い訳めいた言葉を口にしたら自分が許せない感じもするので。
そう思ったから、Oさんがあっさり家族で話題にして、Oさんの配偶者もあっさり正論で突っ込むというざっくばらんさがあるのだな、いいなあ、と思いました。

ところでOさんは、苗字は知っているけど、名前は名簿で知っているだけ、どこに住んでいるかとか、どこにお勤めだとかまったく知りません。歌と関係ないからね。いつぞや何の話の流れかわかりませんけど、大学生と社会人になった息子さん二人がいるって話は聞きましたね。
歌の練習以外で会うこともないし、メールをやり取りしたことも、いや、まって、メールアドレスも知りません。
それでも練習で会えば、談笑する友達。
荘子さんが「君子の交わりは淡きこと水の如し」とおっしゃっていますが、まさにそんな感じです。
私かOさんがこの合唱団を止めてしまえば、付き合いはなくなってしまう。そんな儚い間柄です。

そういえば、以前Kさんという“ここだけ友達”に別の所属合唱団の演奏会のチケットを売りつけて来てもらったことがあったけど、いつのまにか名簿から消えていた。辞めちゃったんですね。
歌う時は、同じパートであれ別パートであれ、息を合わせハーモニーを協力して作って練習を積み重ねて、うまいこと出演できた舞台では、それを実現していくべく汗をかく。親密な活動でありながら個々の交わりは疎な部分もあり。
練習中に孤独を感じることはないけど、練習終わって帰路につくときは、たいてい一人の私。
連れだって飲みに行ったり、連れ立って帰る人たちもいますけれども。それでも特に寂しいと思わずさっさと帰る。家に帰って子供達に「寝ろ」って言って夕食の片づけをしないといけないから。
向かう所があって気持ちを切り替えられるって、寂しさを感じる隙間があんまりないってことなんだなあと思いました。